こんにちは。インターネットだいすき、アプリはスタンドアロン派、アートディレクターの関口です。
先日、同僚のADヤマちゃん、フロントエンドのこやま君と話していて、「インターネットが好きなのか、インターネットっぽいものが好きなのかはだいぶ違うね。」というヨタ話をしました。
さて今日は、サムネイルとコンテンツのパッケージングのはなしです。
例えば、書籍のカバーデザイン。 気をつけないと、せっかくシェアしても og:image で見切れてしまってアイコン的機能が失われることがあります。グーグル画像検索のサムネイルではワンクリックしないと何がなんだか見えない、ということも。書籍のカバーも、書店での見え方だけでは成立しなくなっているということですね。
(もう数年前、トークイベントでNDC有馬さんが田中一光氏の時代のポスターグラフィックはいまサムネイルサイズで見るとすごく見えがいい、巨視的に考えないと、と言っていたことを思い出しました。さすが。)
今や時代はウェアラブルからIoT前夜という感じですね。デザインする対象はボタン画像でも画面でもなく、インターフェイスの積み重ねであるところの体験そのもの、UXである、OUI的観点で通知のUXをでざいんしなくてわ! なんてことになっていたりします。
つまり、ブツ(コンテンツ)そのものはもちろんではあるのですが、それよりも、この時代に耐えうる流通パッケージングを考える必要がより強く出てきているのかもしれないなあ、と思うのです。
こうして考えていて気づいたのですが、作り手とその受け手のことを考えて設計するのがデザインとするならば、これはそもそも本質的なことで、特別新しいことではないのかもしれませんね。
雑誌のデザインを見ていても雑誌のデザインはできませんし、ウェブのデザインばかりを見ていてもウェブのデザインはできません。我々意識の高いデザイナは、さまざまなタッチポイントを自分の中につくることが必要です!!!
…たまにはちょっとインターネット村を離れてみることが、よりよいインターネット(不明)につながるのかもしれませんね。