Designを肴に…

ぺちゃくちゃ喋ってる時にひらめいちゃうあの感じを、サストコ流に形にしてみます。お題はもちろん「デザイン」です。

2012/10/09 11:30

トークイベント「コロリの引き出し」を開催!

まいど、編集長の青木です。今回は、7月11日(水)に行われたイベント『コロリの引き出し』の様子をお届けしまーす。

あとコロリさんに素朴な質問に答えていただいてる「コロリさん、素朴な質問に答えて!コーナー」も読んでね!

※「FROM EDITORS」にアップしている記事を編集して再掲載しています。

60人ほどが参加。コロリさんの人気はスゴイ!

このイベントは、絶賛サストコの特集(FEATURE ARTICLES 6FEATURE ARTICLES 7)でも登場してもらってる通称コロリさんこと田中晃二さんに、今だからこそ聞ける仕事についてのあれやこれやをじっくり3時間、若者代表(?)の渡邊くん関口くんに余すとこなく聞き出してもらったトークイベントです。

出版のビジュアル化黎明期から、デザイナーとして、アートディレクターとして、半世紀近くに渡り”デザイン”と共に歩んできたコロリさんに、当時の貴重な資料を見せてもらいつつ、この何十年かを振り返ってもらいました。

真ん中の方がコロリさん。手前が渡邊くん、奥が関口くん。

コロリさんの貴重なデザインについての話に、集まった皆さん頷きまくり。

実物を見つつ、プロジェクションしながら進められました。

と、その前に、コーナータイトルの「デザインを肴に。。。」についてですが、コンセントの売りというか価値である”デザイン”について気楽に語れる場所がないな、ということで作ってみた枠組みです。別に仰々しく難しい話をしたいわけではなくて、色んな意見が話せて聞けて、社内外のみんなが混ざれる機会や場所があった方が面白いな、と始めてみました。ちょっと一杯引っ掛ける感じで気軽に遊びに来れるようなライブイベントを仕掛けつつ、それをまとめたり発展させたりしていこうと思ってますんでよろしくお願いしますー。

「デザインを肴に…」のロゴも熊田くんがデザイン

その第一弾としてこのイベントを催したわけですが、そもそもコロリさんをこんなにフューチャーするきっかけになったのは、当初、司会担当の予定だった熊田くんでした。当日は残念ながら業務のため欠席したんですが、ロゴやポスターまで作ってくれたりしたし、色々と思いは山盛りでしょうから、まずはちょっとお話を。

* * *

●熊田くん談

年度初めに開催されたAZグループのキックオフミーティングで田中さんが定年で退任されると聞いたときに、同じデザイナーの先輩なのに、デザインの話をちゃんと聞いたことがないことは非常にもったいないと感じ、是非お話をサストコで!と思い、その場で声をかけたのが実は開催のきっかけです。色々興味深いことはあるのですが、特に「手引きデザイン」に関して聞いてみたいと目論んでました。

というのも、Macに映し出されるまっ白のドキュメントよりもまっ白の指定紙の方が、自由な表現が出来ていたんじゃないかと思っていまして。今は、Macのツールにたよった制限の中の自由という狭いところでデザインをしているんじゃないかと。昔の雑誌はそんなことを微塵も感じさせない無限の世界を見ているような表現が多いように感じました。

その感覚は、ぼくたちの今のデザイナーに一番足りてない気がしていまして(僕だけかもしれませんが)。なので今を生きるデザイナーが吸収すべき大事なことだと感じ、デザイナーとしてアートディレクターとしてのコロリ(田中さん)の引き出しが見たい!聞きたい!触りたい!と思い、今回の流れとなりました。

そんな、思いを胸にどうやって“コロリ”を表現しようかと画策し、僕が知っている、マガジンハウス&手書きのアレ通(昔の社内報)&フランスという数少ないコロリさんイメージを、手書きのロゴやトリコロールのポスターにこめてみました。

写真じゃわからないけど、ガリ版っぽく見えるようにデザイン。もちろん赤バージョンも作成。

今回は業務の都合上不参加でしたが、次こそは、見たい!聞きたい!触りたい!という思いを胸に込めて。

* * *

オチに微エロを感じたのはさておき、その思いを受けてTシャツまで作ってしまったのが、こちらになります。

イベント当日に届いたばかりの、熊田くんデザインの“コロリさんロゴ”入りTシャツと一緒にパチリ。

次に、司会をしてもらった渡邊くん、コメントお願いします。

* * *

●渡邊くん談

コロリさんの声をマイクで拾うのに必死な渡邊くん。

衝撃的だったのは、文字を指定紙上に直書きで例えば「MB101B ○級ベタ組み」と指定した場合、
それは目方で作るものだから、デザイナーの手癖によっては指定紙通りに文字が入りきらない。。とか。
今ではモニターで確認しながら作っていく所を、とりあえず色校とってみましょうという感じで進んでいく。
アバウトなところはアバウトにしつつ、で進んでいく。

それっていうのはそもそも論としてのデザインの根幹がしっかりとしていないと、ぶれたデザイン表現になってしまうんだろうなと思いました。

そして、実例として持ってきて頂いていた表紙のデザインは
どれもこういう事をつたえる為のコンセプトがしっかりと練られていて、
今見ても、とてもいいデザインだなぁーと素直に楽しんでしまっておりました。

まだまだ聞いてみたいところは尽きない感じだったので。
是非、再度会を重ねてもっとディープなお話が聞けると良いなと思いました。

* * *

渡邊くん、サンキュー。
当日は、田中さんがデザインを手がけられた百科事典や雑誌(なんと1970年代のものも!) や、手書きのレイアウト指定紙、当時の色校などなど、デザイナー心をくすぐりまくる貴重な品々を見せていただいたんです。もーみんな、興奮状態。

歴代のクロワッサンの表紙。デザインのコンセプトなどを一つひとつ語ってくださいました。

もう一人の司会、関口くん、コメントをお願いします。

* * *

●関口くん談

田中さんとは初対面というわけではなかったですが、やはり大先輩、緊張していました。でも、どこまでも気さくで気負いのない調子に、逆に気持ちをほぐしていただいたようなところがあります。
ほんとうに大先輩ですからこう言ってしまうのはちょっと恐縮ですが、お話が進むにつれて、まるで同年代の友人とデザインの話をしているかのような高揚感があり、キャリアは違えど、同じものを見て話すというのは非常に「楽しい」し、一方的に教えていただくというよりは、もっとフラットな視点での発見があるなあというのが素直な感想です。
時代が変われば価値観や方法論も変わるはずですが、もっと根本的なところは何も変わらないのだな、ということが一番の気付き/再発見でした。

デザインを制作するなかでの人と人との直接的なかかわり。日頃、そういうことを大切にしていきたいと思って仕事をしています。今回、その思いを新たに、強く持つことができました。

「デザインは楽しい。」
今後もこういうイベントを、知人友人のつながりだけでなく、こういった開かれたかたちで続けていけたらいいなと思います。

…要は、味をしめたってことですね!

* * *

味をしめてもらえて嬉しいです。これからもデザインについての語らいの場を増やしていきましょう。

途中、質問を交えながらトークは続きました、というか話が膨らむ膨らむ。

最後に青木からです。サストコの特集取材時、40年以上前の記憶が目の前でまざまざと甦っていく様に終始圧倒されっぱなしでした。ほんとに、聞けば聞くほど面白い話がどんどん出てきて、そのライブ感というか、コンテンツの塊である田中さんを皆さんに生で味わって貰えないのはもったいなさ過ぎる!と考えたのが、イベントにしようと思ったきっかけです。

「ピース」サインって、勝利のVからきてるんだよね(ニッコリ)。

以下に、話の中でも個人的に面白いなと思った点を3つほどまとめました。

まずは、デザインに関するレポートやADマニュアルなど、30〜40年ほど前にドキュメント化されたものが色々出てきたのはびっくりしました。当時のエディトリアルデザインは、アートディレクションって概念が浸透しておらず、AD料って形のフィーがなかなか認められなかった時代。本全体を見渡してどう見えてるかとか、取材・企画レベルの相談を受けたりとかはするものの、その価値や効果をちゃんと説明出来てないと感じてたそうです。その解決のために、ADという概念を文書化し理解共有できるようにしたり、現状のレポーティングや、どうあるべきかまで踏み込んだ提案をしたりすることで、その価値を徐々に認めてもらったという話でした。今でこそ言語化するのは当たり前だったりしますが、それを会社を立ち上げたばかりのこの時期にやっていたっていうのはやっぱり驚きです。

次に、婦人誌の正月号の表紙ディレクションの話です。当時はほとんどが女優の写真に金赤と金色の配色で、それがばーっと書店に並ぶと、かえって一冊一冊が埋もれてしまうため、逆にどうすれば目立つかを考えたという話が面白かったです。他誌との差別化のために、あえて年頭のメッセージを主体とし、白ベースでタイポグラフィーだけにすることで目を引く事に成功したという話でした。読者とのタッチポイントとして、店頭に置かれたシチュエーションをちゃんと想像し、その時にどう見えるかを考えデザインする事を20年も前にやってたのは脱帽です。

写真のない表紙と言っても、罫や地紋、色面、タイポグラフィによって楽しく読んでみたくなるようなディレクションが施されている。

あと、ご自分の事を評して「普段をうまくスムーズに回す人」で「明日のおかず何しよう的な部分しかみえてない」って言っていたのが印象的でした。歴代の編集長や、AZHD鈴木会長との関係の中で出てきた言葉だと思うのですが、もちろん今日明日の事しか考えられないってわけではないと思います。日々目の届く範囲を丁寧にデザインすることが、身体に染み付いてるからこそ言える言葉で、まさしくデザイナーなんだろう、と感じました。

そうそう、このイベント、コンセントメンバーだけじゃなく、面白法人カヤックさん(新しいウィンドウで開きます)も参加してくれました!(ちなみにカヤックさんの恵比寿支社は、会場のamuから徒歩5分圏内! 近いー)

カヤックさん、3人ともおしゃれボーダーで、AZS!

というわけで、現場からは以上です。

まだまだ話が尽きない様子のコロリさんと、もっと色々聞きたい皆さんを見ていると、今回とは形やテーマを変えたりしてまた何かやりたいな、と思ってますので今後もご期待ください。

コロリさん、素朴な質問に答えて!コーナー

トークイベントや、『サストコ』特集でのインタビューでは聞けなかったいろいろな質問に、コロリさんがお答えくださいました。しかもさすが『ウェブ・ダカーポ』にコラムを書いているコロリさん! それぞれの質問に小見出しもつけてくださってますー。感動!
(余談ですが、AZグループ内全スタッフに質問を募ったところ、かなりの数に! コロリさん人気にあらためて圧倒されましたー)

Q.《ころり》とは何ぞや?

A.私の弟の名前、章三(しょうぞう)を、子どものころ兄弟の誰かが《しょろり》と呼んだのがきっかけで、妹の寛子(ひろこ)が《ひろり》、晃二は《ころり》、兄の英一は《えろり》と家庭内で呼んでいました。長崎で家族的なつきあいをしていた友人があるとき東京の事務所に遊びに来て、私のことを《ころり》と呼んだのを初代社長の稲葉が聞きつけ、それから事務所内呼称が《ころり》となり、その後、仕事場になったクロワッサン編集部でも《ころり》で通り、私の正式な名前が田中晃二であることを知らない編集者もいました。ところで、私がいちばん長く一緒に仕事をしたクロワッサンの3代目編集長は中谷規子(なかたにのりこ)さんで、彼女は若い頃に社内で《このり》と呼ばれていたらしい。メシをシーメと言う、業界のあれで、のりこ→このり。《このり》は《ころり》に親近感を覚えたかどうか、私は中谷さんとはすごく気が合って、ある程度は自由に仕事ができました。編集長とADの相性は重要です。彼女は編集長を退任してマガジンハウス社長になりましたが、私も遅れてクロワッサンADを退任し、鈴木から集合denの社長を引き継ぎました。

Q.好きな服のブランドは?

A.クロワッサンADをやっていた35歳の時に、アンアンのお洒落男性特集号で表紙モデルになった経験があります。たまたまアンアン編集部が隣りで、近場にいた私に白羽の矢が立ったという次第。最近よく買う服はPapasや無印、GAPのバーゲン、ガレージセールの古着からユニクロまで、ブランドはいろいろ、気にしません。少し前のバナナリパブリックスが好きでしたが、みんなシルエットが細身になったので困ります。そろそろ老人にも優しい、ゆったりサイズの流行を期待します。物持ちがいい(ケチ)ので、15年前のシャツも着ますが、歳をとると肉体はくたびれるから身ぎれいにするように心がけています。

Q.バイクやクルマの運転

A.30過ぎの頃に、オートバイが大ブームになった時代があり、中型の免許を取ってヤマハのオフロードバイクを買いました。多摩川河川敷やディズニーランドが出来る前の浦安埋め立て地を仲間と一緒に走ったり、富士山の精進湖登山道(林道)を5合目まで登ったり(今は禁止)、山の中までバイクで行けるのがクロカン・スキーの感覚と似ていて、週末に関東近辺の未舗装峠道をツーリングしました。子どもが生まれてからはクルマに変りましたが、運転に集中するといろんなことを忘れられるので好きです。そろそろ目が衰えてきたし、上手くはないのですが。

Q.3時のあなた

A.学生時代から通算すると一人暮らし期間が長いこともあり、料理はいつも自分で作ってきました。まあ嫌いじゃないし、毎日テキトーやってます。作ってもらえればもっといいのですが、そうはならないのが現実。クロワッサンを長年やったので、家事の知識は豊富です、実践は別として。洗濯物を干す作業はレイアウト感覚と同じで、かなり好きですが、唯一、掃除はマメじゃない。大学生の頃に編み物に凝った時期があり、棒針で二目ゴム編みのマフラーを友人に編んであげたことがあります。ミシン掛けも好きで、子どもが保育園でお昼寝に使う布団カバーや通園袋なんかを楽しんで作りました。

Q.レコード

A.レコードが大好きでした。聴くことも、ジャケットを開いて眺めることも。30センチ四方のジャケットはグラフィックデザインの宝庫でしたね。CDの時代になって興味激減です。音楽をダウンロードして聴くなんて問題外。若い頃は世の中オーディオブームで、友人に真空管アンプを作ってもらい、秋葉原に部品を買いに行ったりしました。今とは違う、アキバが電気の町だった時代です。モーツアルトやバッハなどの古典や、ピアノ中心のジャズをよく聴きました。レコードがCDに変る頃、ちょうど結婚して子育ての時代とも重なり、音楽を聴きたくても時間が取れなくなりましたが、今また、好きな時にいつでも聴ける環境に戻りました。そうなったら意外と聴かなくても平気だったりするのですが。アンプやプレーヤーは3代目、スピーカーだけは40年近く前に秋葉原で買った英国製を修理しながら使ってます。10回近い引っ越しにも生き残り、今や一生モノです。

Q.名画座

A.教育大学の芸術学科構成専攻は1学年の定員が7〜8名という少人数で、全学年でも30人程度。ひとつ上の学年に太田和彦という先輩がいました。芸大っぽい資質の人で、バウハウス系の教育大には全く不似合いでしたが、彼には映画の楽しみを教わりました。池袋や新宿の名画座に、よく通ったものです。卒業後は一度も会っていませんが、資生堂宣伝部での仕事より居酒屋評論家の活動の方が有名?かも。下北沢の彼の下宿に夜遅く遊びに行ったり、夏休みに松本の実家で蜂の子をご馳走になったり、若い時の短期間でしたが強く影響を受けた人です。酒の飲み方を教わっとくべきだったかな?

Q.渓流釣り

A.50になる前、仕事仲間から渓流釣りの手ほどきを受けました。これが面白くて、今も続いています。長野、新潟、群馬、山形、イワナやヤマメがいそうなところには何処へでも行くのですが、ホームグランドは奥会津です。夏にはテントを張ってキャンプもします。釣りの仕掛けを作る時の妄想、山奥の渓流の静寂、水の冷たさ、竿を出しアタリを探る無心、弓なりにしなる竿、魚籠に入れた魚の重み、料理して食べる醍醐味、宿の鄙びた温泉、数え上げるときりがないのですが、歳とともに足腰は衰えるので、滝壺に落ちて遭難しないように注意しないといけません。

Q.本の読み方

A.最近は、翻訳物より日本人作家、絵空事っぽい小説が好きです。気に入った作家の作品を次々に読みたくなる傾向があります。読むだけなら図書館で借りればいいのですが、装丁が良かったりするとブツとして持ちたくなります。ブックオフの100円均一でつい買ってしまうし、引っ越しの度に整理するのですが、なかなか減りません。定年後に時間が出来たら読もうと思って買った本がずいぶんあるけど、本を読むにも体力が必要で、若い時の集中力はもう望めないし、捨てるなんて罪悪感に苛まれるし、またブックオフに売るってのもなんだし・・・・。

Q.宝物

A.学生のころ夏休みに帰省する時、長崎まで汽車で一気に行くと面白くないので、関西方面で途中下車して遊びました。国鉄の時代には周遊券という便利なチケットがありました。京都とか、彦根、長浜、小浜、敦賀など琵琶湖周辺の古い町の古道具屋には安いガラクタもあって、旅行の途中でよく買物したものです。伊万里の皿や茶わんが好きで、一人では使い切れないほど集めました。30年前の梅雨末期の豪雨で長崎が大水害になり、私の実家も1階部分が水没。東京から手伝いに帰り、使い物にならなくなった思い出の染み付いた家財道具を見て、物を持つことの虚しさを強く感じました。それ以来、コレクションする性癖が弱くなったかなあ。でも、美しい器を見るとやっぱり買い求めたくなる。死ぬまで直らないか。

Q.昼寝

A.家のリビングに、イデーで買ったバルケッタというイルカみたいな船みたいな形状のベンチソファーがあります。日曜日の昼下がり、窓を少し開けてゆるく風を感じながら、このソファーでうとうとするのが好きです。タオルケットかけた方がいいかな、と思いながら起き上がるのが面倒でそのままうとうと昼寝という、ゆるい時間がいいですね。もっと楽しそうなのは、逗子の海岸近くの公園にヤシの木の並木があって、そこにハンモックを結び付けて昼寝をしている親子を最近発見しました。私もぜひやってみたい!

Q.生まれ変わったら何になる?

A.高校で大学を選択する時に、工学部へ行ってエンジニアなんて男らしくかっこいいなあと思ったのですが、肝心の理数系の成績がイマイチなので断念。かといって、なんとなく文学部とか経済学部ってのも気が進まず、普通のサラリーマンになるイメージはさらさら持てなかったので、他人とは違った人生が送れるかもと東京教育大のデザイン科を選びました。動機は不純でしたが、選択は間違ってなかった。ところが、卒業前の大学紛争で価値観が変わるような急性モラトリアム症候群に罹り、かなり本気で芸大に編入して美術館員とか、美術品の修復とかを志したことがあります。その時は結論を先延ばしして教育大の大学院へ進みましたが、大学の先生になる気はあまりなく、結局は中退することになりました。キュレーターとか、今でもあこがれの仕事です。

Q.仕事と生活と家族

A.デスクネッツ(AZグループのイントラネット)の上原さんの予定に、リリ送り、とか書いてあるのを見て、自分の子育て時代を思い出します。私がクロワッサンADだった40代始め、編集部で仕事が終わって横浜の自宅に帰るのが毎日深夜2時とか3時頃でしたが、翌朝8時半に二人の娘を自転車に乗せて保育園まで連れて行った時期があります。(編集部へ行くのは午後でしたが)その娘達も大きくなって、下の娘が今年5月に横浜で結婚式を挙げました。くさかんむり特製のウェディングブーケをプレゼントしたら、イメージ以上だとすごく喜んでくれました。上の娘の時も、ちひろさんにブーケを作ってもらう計画ですが、どうなることやら。私は50代半ば、妻との関係は破綻して別れましたが、二人の娘とは彼女らが高校生の頃よりもオトナな関係になれそうかも、と勝手に楽しみにしている(ノー天気な)父親です。

Q.コロールという書体

A.小学6年生の頃、ガリ版を切るのが大好きでした。ロウを引いた原紙に鉄筆で一字一字書いて学級新聞を作る作業に熱中したのは、デザイナーの原点だったかも。私が集合denの社長になってすぐの頃、ヘルベチカと合併しアレフ・ゼロとなった時は会社の大きなターニングポイントで、社員一人一人に方向性を理解納得してもらうことが大切でした。当時のden通信やアレフ通信を私の手描き文字《コロール》にしたのは、きれいなフォントで文字を組むより熱意が伝わると思えたからです。クロワッサンでも、写植の書体ではニュアンスを伝えきれない時に《コロール》を使いましたが、使い過ぎないように注意したものです。《コロール》は、ダーマトか使い古したぺんてるサインペンで、原稿用紙の裏などのザラ紙に書きました。最近、手帖に書いた自分の字を見て、父の字に似ていると思うことがあります。書体も遺伝するものだろうか?

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