サストコ
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サストコ

[Special Contents デザイナーの素]ってどんな企画?

子どもの頃、みなさんはどんな体験をしましたか?
 
この Special Contents「デザイナーの素〜今の私を構成する体験〜」は、コンセントと、所属するAZグループ各社のメンバーが、子どもの頃によくやっていたこと、好きだったこと、今の仕事に影響する過去の体験を紹介する企画です。
 
企画の詳細はこちらの記事を。
[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
 
それら体験エピソードを勝手に(伝わるしくみじゃないけどw)4つに分類。
この記事では、「好きだった」「よくやっていた」ことのうち、『よむ』『かく』『つくる』に関する体験談を紹介します。

発見したこと
・『読むこと』『描く(書く)こと』が好きな人が多い
・『読み・描き(書く)』から『作る』に発展
・工作、プラモ、料理、製本、基地まで、作ることが好き

 


■絵本、小説、雑誌、マンガ、紙ならなんでも…。とにかく読書が好き!

回答者が20代後半~40代。小さい頃はインターネットや携帯電話、ましてはスマホなんてなかった時代。
…だからかどうかはさておき、予想通り、本好きが多かった!

・「通学時間が長かったので、すごくたくさん本を読みました」(女性 デザイナー)

・「小学生のとき、図書館によく行ってた。ミステリーSF戦争ものが好きだった。そういうマンガも。
中学生のときは、星新一筒井康隆などをたくさん読んでた。ブルーバックスシリーズも大好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)

・「岩波児童文庫を読んでいた。⇒小学校の図書館にあった岩波児童文庫の新刊追加が楽しみだった」(男性 ディレクター)

時間や空間環境も大切なんですね。

とにかく読むことが好き!

・「雑誌だけじゃなく、本なら何でも好きだった。本のかたちなら何でも手当たり次第見てた。子ども向けの本だけじゃなくて、親の週刊誌小説でも。教科書も大好きだった」(女性 デザイナー/アートディレクター)

・「本(漫画含む)を読むのが好きだった。⇒外で遊ぶより本を読んで過ごす方が好きだった。幼稚園のとき、将来の夢を書く機会があり『本屋さん』と書いた記憶がある。ケーキの好きな子が『ケーキ屋さん』と書くような感覚だったと思う」(男性 デザイナー)

“本を読むのが好き/よくやってた”という共通点をもっている中でも、どう楽しんでいたか、“目をつけていたポイント”は人それぞれなようです。

・「国語辞典を読んでいた。⇒何がキッカケかは判らないけど、国語辞典を読む趣味があった。言葉と意味の説明がループするのを見つけるのが好きだった。高校入るくらいまで続いてた」(男性 ディレクター)

・「お気に入りの絵本イラストの細部をじっくり眺める」(女性 デザイナー)

・「辞典挿絵をみるのが好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)

・「ゲームの説明書が好きだった。⇒ゲームもするけれど、何故か説明書を読むのがとても好きでした。世界観がまとまっているところとか、限られたスペースに情報がつまっているところが好きだったのか…そもそも本を初めとする『紙もの』が好きだったのかもしれません(今も同じく)」(女性 プロジェクトマネージャー)

・「絵本アニメが好き。体を動かして遊ぶことよりも、ひとりで絵本を読んだりアニメを観て過ごすことが好きだった。同じ作品を繰り返し楽しむタイプで、1日1回『ダンボ』のビデオを観ることを日課としていた(5歳当時)。ちなみに『ダンボ』の次は『トトロ』絵本は『バーバパパ』1つの世界観を突き詰めるのが好きで、凝り性だった。繰り返し観た作品は今でもほぼ丸暗記している」(女性 ディレクター)

・「本を読むのがすきだった。⇒幼稚園でおべんとうの後の休み時間は絵本を読んでいた。実をいうと当時、絵をみるというよりは文字を追うことの方が好きで、あたまの中で想像するのが好きだった。
ちなみに、すきだったのは『ねずみくんのチョッキ』シリーズ『からすのパン屋さん』
<余談>大学の卒業制作『こどもと本』をテーマにしたのでディックブルーナのことを調べたりして、愛のあふれる感じとかデザイナーとしてのスタンスが今では大好きなのですが、うさこちゃんの字のない絵本をみたときに、『あのしゃべらへんうさぎ、こわい……』と思っていた! ごめんブルーナ!」(女性 アートディレクター)

本を読むのが好きで、明治の文豪にはまっていたかも。⇒今、漱石や鴎外に縁のある文京区に住んでいます」という女性デザイナーは

『長靴下のピッピ』とアニメの『ニルスのふしぎな旅』が好きだった。⇒今スウェーデンに友達がいたり色々つながりがあるのですが、オリジナルはここか!と思いました」

ということも言っています。
読んだことが時間を経て空間的につながっているところが興味深い。

そして読書が壮絶な体験になっている人たちが…!

・「学校推薦以外の児童書を、2日に1冊の割合で読んでいました。学校推薦図書は、まったく面白くなく、感想文が夜中の12時になっても書けず、本気で泣きました。国語のコンテンツは、悪すぎると思いました。こうした体験が今の編集に役立ち、傲慢かもしれませんが、将来、教師用の創造的教科書を創りたいと思っています」(男性 出版社 編集)

・「幼少時、水木しげるによって地獄について解説された本を熱心に読んでいた。その本によると、天国に行くためのハードルは相当高く(あれでは誰も天国に行けない…)と、寝る前に死後のことを考えて憂鬱になっていた」(男性 デザイナー)

■雑誌のディープ(?)な楽しみ方

「舐め回すように」見たり、「クレジットを常にチェック」したり「紙質や発色をジャッジ」したり…。
今、エディトリアルデザインを中心に活躍する人からは、幼少期から雑誌や本に対する、容赦ない思い入れがみられました。

雑誌について語らせたらコンセントトップなのではと思われる男性 クリエイティブ・ディレクターの体験。

・「本よりもビジュアルなもの、雑誌やカタログなんかが好きだった。
まずは、雑誌の定期購読の始まりとして、小学館の『小学1年生』と学研の『科学』『学習』は定番かな。また初めてのマンガとしては『ドラえもん』の単行本を買ったのも同じ時期。ちょうどTVでカラー版が始まった年だったような。ついでに『コロコロ』も読んでた。ちなみに『ジャンプ』は4年生から(今だに読んでる…)。

あとは、何か流行があるとそのジャンルの雑誌がとりあえず創刊されるのもこの時代の特徴で、お約束通りガンダムが流行れば、設定資料集やらアニメ雑誌を買い、ファミコンが流行れば解説書から『ファミ通』も買うという感じ。関係ないけど、『クイズ面白ゼミナール』の鈴木アナが好きで、博士キャラ目指してたと思うw

そうこうしてるうちに、デザインされたかっこいいプロダクトとかイケてるライフスタイル、それらを伝える大人向けの雑誌の存在を知り、『ポパイ』『mono magazine』なんかを読み始めたのが小学6年~中学ぐらい。『デザインオブザイヤー』『一生モノ』といった名企画の中で出てくる、MA-1システム手帳リーボックのワークアウトなどを誌面を舐め回すように見てたの憶えてる」。

そして、エディトリアルデザインのキャリア豊かな女性デザイナー/アートディレクターは

・「雑誌がものすごく好きで、何でもすみからすみまで読んだ。⇒学研の『学習』『科学』とかから始まって、付録だけでポイ!じゃなくて、ほんとに記事全部どころじゃなく、読者のページも情報ページも編集後記も、ぜんぶぜんぶ読んでた。読者ページの担当編集さんがかわると気づくくらいに。大きくなっても同じで、『STUDIO VOICE』だって全部活字読んでたと思う! クレジットも常にチェックしていたから、『anan』が集合denからアレフ・ゼロに変わってる?あれ?って思った記憶がある。大学の就職課に『アレフ・ゼロ』って貼ってあるのを見て「あ、『anan』とか『CLIQUE』のデザイン! しかしなぜウチに(美大じゃないのに)デザイナー募集?」って思った。だから入社して『Tarzan』『croissant』に配属になったとき、この人が…!と思う人がいっぱいいてめまいがした」

そう。さらに、

本の紙質や発色をジャッジしてた。⇒絵本とか教科書、ずいぶん小さいころのことだけど、記憶がある。
『岩波の子どもの本』シリーズ『ちいさいおうち』『はなのすきなうし』が大好きだったのだが、大人になって見たらPP貼りの表紙になってて大ショックマットな紙質の表紙の手触りじゃないと台無し! カバーもないし! って思った。

教科書も『国語の表紙の布っぽい筋目が入った紙がよかった』とか『書き方の教材の紙の鉛筆の跡の付き具合がものすごく嫌いだった、でも表紙の水色の色みは嫌いじゃなかった』とか、覚えてる。
配布されたての教科書の、スパッとした小口にうっとりしたり」。

突き詰めることって大切だとしみじみ感じる体験談です。

■描く/書くのが好き

子どもの頃によくやったことといえばやっぱりお絵描き!

・「雨の日や友達がつかまらない日はもっぱらお絵描き(兄が絵がうまくてよく真似して描いてた)」(女性 デザイナー)

・「ベタに『お絵描き』ですね。毎日くる新聞のチラシの『裏が白くて、ツルツルした質感じゃなくてザラザラしてるやつ』を病的なまでに収集して一生懸命描いてました。スケッチブックとか画用紙とかも持ってましたが、チラシに描くのが好きだったのはなぜでしょうか」(男性 デザイナー/アートディレクター)

質感にこだわるって、子どもの頃からデザイナー精神が芽生えてたんですね、きっと!

・「絵を描く(塗り絵はやった覚えがなく、あくまで自分で描いて自分で色を塗っていた)。写生などは案外苦手だった・・」(女性 デザイナー)

・「平和ポスターとか、虫歯予防ポスターとか、図工の授業で描かされるポスターは好きで楽しく描いていた」(女性 デザイナー)

そうそう! 学校でポスター描かされることってありましたね! 他の人の体験談を聞くと連鎖的に記憶が呼び覚まされる。

宇宙船の内部とか大型ロボットとかの内部細かく描くのが好きだった」という男性 クリエイティブディレクターは、

「当時の自由ノートを見ると、なぜかかっこいいロゴを模写してた。ファッションブランドのVANとか、手塚治虫のマンガタイトルとか」

“描く/書く”のは絵だけではないようですね。

・「漢字練習帳のような、小さなマスに色鉛筆で細かな柄(?)を描くのが好きだったことを思い出しました」(女性 プロジェクトマネージャー)

・「幼稚園の頃、まだひらがなも書けない頃、なぜだか誰にも教わっていないのにアルファベットばかり書いていた」(女性 PR/マーケ担当)

スーパー幼稚園生! 英語が身近にある環境だったのかな?

■『描く』から発展して『作っちゃう』

絵を描くことが好きだった。進化すると、ストーリーも考えて、絵本とか漫画とか作ってた
という女性デザイナーは影響した過去の体験の一つをこう語る。

「[小さい頃、描いてた絵。⇒小さいころこういう絵を描いてたみたいです。
http://mslocation.blogspot.jp/2011/12/you-stay-who-you-were.html
最後の写真は、その小さい頃自分が描いてた絵を親に見せてもらう数日前に買ったエルメスのスカーフ。幼い頃から、好みとか全く変わってないんだなーと思いました。。。笑」

本当だー! 色遣いの感覚が似てる!!

絵を描いていただけではなく、絵本や漫画などを作っていた人たちがかなり多かったという事実も、今回のアンケートでの発見でした。

・「漫画⇒次の日の授業をノートに書き写す時間があって、時間がいつもあまるので、メモ欄をつかって1日1コマ漫画を作っていた友だちにも見せて楽しんでた。
内容は、当時はやっていた小室ファミリーの話で、ともちゃんと小室さんカップルの間に、グローブのKEIKOが割ってはいるっていう話。(未来を予測した!?)当時から、かなりミーハーだった」(女性 ディレクター)

さすがコンセント情報通!! 彼女はさらに強者です…。

・「なぞなぞの本づくり⇒なぞなぞにはまって、なぞなぞを集めたノートを母親にコピーをとらせて、本にしてクラスの友だちに配りました(母親の職場でこっそりコピー)」(女性 ディレクター)

“なぞなぞの本”も興味深いけど、母親をつかうって…。こらこら。

・「絵を描くのも好きだった。⇒あんまり画力なかったけど、ディティールが気になる方だった。髪型とか靴とか袖の形とか『これはかわいい。もらった』と思うとそればっかりまねっこしたりしてた。小学校5年の時に転校してきた絵の上手な子とすごく仲良くなって、ふたりでキャラクター作って、シールとかグッズ作ったりマンガ描いたりして展開してた」(女性 デザイナー/アートディレクター)

マンガだけでなく、キャラクターやシールまで。展開力がありますね!

・「絵本づくり⇒保育園に通っていた5~6歳のころ、園児のくせに同じクラスや下級生に読み聞かせるための絵本(ももたろう)を作っていました。どうして文字を書けたのかはまったく覚えていませんが…。
その後、小学生のときにマンガ雑誌を作ったり『まんが道』の影響)、高校生のときに映画を作ったりなどを経て、大学でマスコミ学を専攻してからデザイン会社に入社というのは、改めて考えると一続きな感じがしますね」(男性 プロジェクトマネージャー)

なるほどー。後輩から尊敬される良き先輩社員は、こうして育ってきたのかー! 納得!!

今に繋がっている人たちは他にも。

・「幼稚園から『お絵描き』が好きだった。その一方で、いわゆるこどもらしい大胆でのびのびとした『絵画』は苦手で、好きでもなく嫌悪感すらあった。自分の描いたものもコンクール等で評価されることはなかった。小学校に上がってもそれは変わらず、徐々に漫画を描くことに傾倒していく。そこで会得したコマ割のスキルは、現在のレイアウト作業でかなり役に立っている」(女性 デザイナー)

そうか! コマ割りのスキルが繋がるんですねー。

・「好きをカタチにすることが好き。プラ板に好きな絵をトレースしてオリジナル下敷きを作ったり、イラストを切り抜いてシールを作ったりしていました。好きなビジュアルを自分の生活に取り込むことが好きだったんだなあと思います。イラストや写真に対して“眼福”を感じることができる下地になっているのではと思います」(男性 デザイナー)

プロを目指してた!

・「マンガ家になりたかった。⇒絵をかくのが好きだった。お話を考えるも好きだったので必然的にマンガ家になりたい、を通りました。
先日聞いてみたら『マンガ家になりたかった』ことのある人まわりにたくさんいたのでデザイナーのマンガ家になりたかった率を聞いてみたい・笑」(女性 アートディレクター)

確かに! これだけ作っていた人がいたらマンガ家目指してた人もたくさんいそう!

そしてほぼ職人(?!)の域に達してた人が。

・「幼稚園で処女作を発表。⇒初めて自分で本を作ったのは幼稚園の頃。ストーリーと絵を自作し、製本も自ら手掛けた。幼稚園の教室の本棚にひっそりと置いておいたら先生に発見された。当時、私のクラスでは帰りの会に1日1冊先生が読み聞かせをしてくれる習慣があったのだが、そのときにわたしの絵本をみんなの前で読み聞かせしてくれた。非常に優しい先生で、今でもよい思い出」(女性 ディレクター)

さらに彼女の敏腕っぷりは続く。

「中学2年では演劇部の友人に依頼され、部員数や公演時間に合わせて戯曲を手掛けた『銀河鉄道の夜』を題材にしたパロディだったと記憶している。部員でもないのに舞台練習にも参加し、セリフを足したり削ったりして完成させた力作だった。青春の1ページである」(女性 ディレクター)

すごい…としか言葉が出ない。

■デザインや印刷につながったのは“プリントゴッコ”や“年賀状づくり”?

作っていたものとしては、“年賀状”も多かったです。しかもただ書くのではなくて、こだわって作っていたからこそ、今デザインの仕事をしているのかもしれませんね。

・「年賀状を毎年手作りで(プリントゴッコ芋判で)作っていた⇒今の仕事に少しは近いかも?」(女性 デザイナー)

・「プリントゴッコで年賀状を作るのが好きだった。サンプルから、切り貼りして自分だけの版をつくる。背景と文字で2版を重ねていました。かっこいいのができるととても嬉しかったことを覚えてる。⇒今やっていることに繋がってるかも。印刷って行為もそうだけど、納得のいくデザインができるまで試行錯誤する感じとか」(男性 デザイナー/アートディレクター)

・「年賀状を書くのが大好きだった。この子にはたくさんメッセージ書きたいとか、この子には大きく絵を見せたいとか相手によって内容を変えてたので、全部手書きで毎年数種類・計40枚くらい書いていた」(女性 デザイナー)

子どもの頃からユーザー視点があったなんてすごい!

■よくやっていた工作

そして工作をやっていた人も多いようです。

・「工作折り紙とか)」(女性 デザイナー)

・「よく工作はしていたと思う。発明発見みたいな事が好きで、ちょっとした工夫で使いやすくするとか、ナイスアイデア的な物を作る事が好きだった。なので、見た目はいまいちでした。(デザイナーは見た目にこだわる職業なのに・・・。そこもちゃんと考えてみて!と小さい頃の自分に言いたい。)」(女性 デザイナー)

・「紙粘土とかダンボール紙工作インテリア事務所で働いてた時に模型作りの手伝いをした時に少し役立ったかも・・?」(女性 デザイナー)

・「テレビ番組の『できるかな』が大好きで、ダンボールでジュースの自動販売機を作ったりしてた。中に私が入れるサイズ。ダンボールを切って缶ジュースやお金も作って。父親に声を出しながらボタンを押してもらい、中にいる私が缶ジュースを出す…ってちっとも自動じゃないけど(笑)。見たモノを自分で再現して作ってみるのが好きだったんだと思う」(女性 PR/マーケ担当)

『できるかな』の影響を受けた人は他にもいました。

・「工作大好きだった。『できるかな』ののっぽさんを師と仰ぎゴン太の後釜を狙っていた。ゴン太不器用で気が利かないし、だいたい指ないし! ぜったい私の方が弟子適任、って思ってた。家にある空き箱ボール紙を切ったり貼ったり、の毎日」(女性 デザイナー/アートディレクター)

あれれれれ?! 工作好きは意外にも女性ばかり!!

作るのが好きな人がいれば、“分解”が好きな人も。

・「家電製品の分解紙工作折り紙虫取り魚釣りレゴブロック学研の電子ボードラジオやテープレコーダーいじり自転車いじり…などなど。これらすべて今の仕事に影響していると思います」(男性 アートディレクター)

コンセントで電子工作部グループを立ち上げたのは自然な流れなんですね~。

■外ではこんなモノまで作っちゃう♪

・「近所の子とどろだんご作ったり、ザリガニ釣ったり、友達と遊ぶときはとにかく外で遊ぶことが多かった」(女性 デザイナー)

どろだんご、作った、作った! 水分量の加減に凝ったりしませんでしたか?!

・「工作が好きで、近所に掘っ建て小屋を作れる公園があったので毎日通ってた。釘を踏み抜いたり小屋の床が抜けたりしたのもいい思い出」(男性 プロデューサー)

床が抜けるって…。武勇伝は昔から?![1]

・「幼少のころ、田舎なので外遊びを良くしてた。冬はでいろいろなものを作った。かまくらとか落とし穴とか。近所の友達が看板屋とか木工所とか精米工場とか呉服屋とかいろいろだったので、そこで遊ぶのが大好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)

落とし穴…。作るのは好きでも落ちたくはないですね(><;)

・「日が暮れても外で遊んでいた。当時住んでいた地域が新興住宅地で、まだ近所に裏山や開発中の土地がたくさんあったので、落ちている廃材で基地を作ったり探検遊びをしていた」(男性 アートディレクター)

基地作り!! なんだかワクワクする響き!

・「『アルプスの少女ハイジ』に憧れて、近所の建具屋さんで、おがくずベッドを作って、思いっきりベッドにダイブして遊んでた」(女性 PR/マーケ担当)

■編み物に手芸、お裁縫

・「手芸ばあちゃん子だったので一緒にミシン踏んだりとか)」(女性 デザイナー)

おばあちゃんと一緒にミシンを踏むなんて、素敵な想い出ですね!

・「編み物とか裁縫ぬいぐるみの服を作ってた)、持っていたぬいぐるみに全部名前をつけて家族構成を決めていた」(女性 デザイナー)

名前や家族構成まで決めると愛着がすごく湧きそうですね。「この子ならこんな服を着そう」というのも考えやすい気がします。

・「手芸大好き⇒小学校のフエルトティッシュケースとかから始まって、縫い物大好きだった。ミシンも上手
高校の頃から服とか縫って着てた今もふつうに着てるものアリ)。当時流行ってたESPRITバナナリパブリックのバッグを友達にみせてもらって採寸したり、ソニプラとかで裏側の仕組みを研究したりて、似たようなの作ったり。友達からも頼まれて作ってました。
余談ですが、私が入社した年はいわゆるボーナス制度があった最後の年で、最初で最後のボーナス5万円はミシンに消えました。今も愛用中」(女性 デザイナー/アートディレクター)

“友達から頼まれて”って本格的!

■料理の腕、ふるってました

・「料理。⇒初めて包丁を持ったのが小2でした。それから料理がずっと大好きになりました。今でも週末は料理をします。時間がかかる料理が好きです。得意料理は『豚の角煮』『米粉ロールケーキ』『冷製パスタ』など」(男性 出版社 取締役・営業部部長)

小さい子どもに包丁をもたせるのはこわいと感じる人もいるかもしれないですが、ご両親がそれを許してくれたからこそ料理が好きになれたんですね。

・「お菓子づくりが好きだった。材料単体でも食べられる料理ではなくて(料理も嫌いではないけど)、自分の手作業をとおして粉(原材料)がパン(食べ物)になるというのに面白さを感じている。生地をこねる感触が好き。⇒今のパン作り好きにつながるかも」(女性 PR/マーケ担当)

 


●[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
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