2013/08/30 11:56
[Special Contents デザイナーの素]ってどんな企画?
子どもの頃、みなさんはどんな体験をしましたか?
この Special Contents「デザイナーの素〜今の私を構成する体験〜」は、コンセントと、所属するAZグループ各社のメンバーが、子どもの頃によくやっていたこと、好きだったこと、今の仕事に影響する過去の体験を紹介する企画です。
企画の詳細はこちらの記事を。
⇒[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
それら体験エピソードを勝手に(伝わるしくみじゃないけどw)4つに分類。
この記事では、習い事や部活、成績や将来を目指すきっかけとなったできごとに関する体験談を紹介します。
発見したこと
・自発的に始めたことでなくても、それをきっかけに好きになることがある
・部活から得た教訓を人生の基本にしていることが多い
・成績が良かった人の中には、テストや評価の本質を分析している人がいる
・「幼稚園で絵画教室に通っていた。動物園や植物園へスケッチに行くのが好きだった。動物園は週1で通っていた時期がある。観察が好き」
という女性デザイナー。彼女は書道も習っていたそうで、
・「文字の形をなぞるのが好きだった。だんだん活字を真似するようになり、友達に『映画とかのタイトルの字作る人になりなよ』と言われてそういう仕事があることを初めて意識する」(女性 デザイナー)
そういう職業を知っている子がお友達だったっていうのも大きそう。
・「幼稚園のころ、近所にあったお絵かき教室に遊びに行っていました。とてもアットホームで子だくさんのおうちでした」(女性 デザイナー)
習っていたわけじゃないかもですが、いろんなことに触れる機会を子どもに与えるのって大切ですね。
・「小学校時代、絵は普通に習っていました。マンガを読むのも描くのも(といっても「かわいい女の子」レベルでしたが)大好きでした。美術はかなり成績が良かったです。夏休みの研究なんか読み物っぽくこだわって作っていた記憶があります」(女性 アートディレクター)
絵を習っていた人、多いようですね。デザイン会社ならではなんだろうか…。
男性がやっていた部活は、やっぱりサッカーが人気!
・「サッカーは小学3年から大学までずっとやってました。今の私は、かなりの割合でサッカー(部活)で構成されました(学びました)」(男性 取締役)
・「中学生のときにサッカーをやり始めた。小学校からやりたかったけどサッカー部がなかったので。たぶん7歳で1970年のワールドカップ見てからだ。ブラジル優勝してペレとかゲルトミュラーとかベッケンバウアーとかの活躍を見て影響を受けたのだと思う。野球なんか、アメリカなんか小さい、世界はサッカーだ!パワーじゃない、頭脳だ!とたぶん考えていた。
3年のとき、真夏のサッカー県大会で決勝進出。準決勝で延長戦1ゴール1アシスト決めたけど全身がつってた。決勝はボロ負け。最後は体力だなと悟った」(男性 クリエイティブディレクター)
・「子どもの頃はとりあえずスポーツ漬けだった気がします。
まず、気がついたらスイミングスクールに通っていて、小学校中学年くらいから選手コースになりました。火曜日から金曜日までは夜19~21時、土曜日は夕方、日曜日は朝7~9時で、休みは月曜日だけ。
さらに、サッカーが好きで小学校から地元のクラブに入りました。小学校のときはサッカーが週末だけだったのでよかったのですが、中学で部活になると両立が辛くなったり、サッカーのほうが好きだったりで中2で水泳はやめました。一応県大会には出ました」(男性 ディレクター)
激ハード!!
今、練習がかなり盛り上がっているコンセントの「サッカーとかフットサル」グループにも、みんなやっぱり所属しているのかな? 大人になってからも継続して楽しめるっていいですね。
芸術系な人を発見。
・「田舎の男子たち的に最もあり得ない『演劇』を高校でならやっても大丈夫なのかもと思って演劇部に入った。でもやっぱり10年ぶりかなんかの男子部員だったらしく、なんだやっぱりかわらんのかと思った。当時私の地方では大げさな演技が支流で、なんだかおかしいなと思って、自然な演技を心がけた。演技の方は『普通に自然にやればいいじゃん』っていう思いの使命感からやっていて、どちらかというと、照明や音声の方がおもしろかったのかもなあ」(男性 クリエイティブディレクター)
ああ! よく通る声なのは演劇部の成果なんですね!
・「小学校時代のクラブは図書クラブ、美術クラブ、家庭科クラブ、中学校は手芸料理部、高校は料理研究部で6年生・中3・高3で部長でした。お菓子作りには自信がありました。
小中高とおして成績がよかったのは、家庭科と美術」(女性 デザイナー)
お嫁さんにしたい。
部活といえば、授業とは違った学びもあります。
前出の、“サッカーで構成されている”男性 取締役は、今の仕事に影響した過去の体験として、
・「規律や上下関係を重んじること/組織プレー/リーダーシップ/努力(練習)は報われること[高校=県大会準優勝/大学=サークル全国大会準優勝]」
を挙げています。
また、女性 プロジェクトマネージャーは、
・「やはりスポーツ(陸上)です。ある程度の結果を残せたので、頑張れば報われる、というのが仕事のモチベーションになってたりもします。反面、頑張るは万能ではない、ということもありますけれど」
と回答。
でも、強制的に入れられちゃうとこんなことになってしまう場合も…。
・「小学時代、まったく運動できない私を親が心配して野球部に入れた。あまりに嫌いで毎日泣いて帰った。車に酔うので、遠征も大嫌いでよく泣いてた。部員や監督、コーチたちのデリカシーのない頭の悪さに辟易して泣いてた」(男性 クリエイティブディレクター)
切ない、ですね。。。
“成績が良かった”と回答していた人の中には、“テスト”や“評価”に対して独自の見解をもっている人がいることを発見。
・「(頭はよくないけど)成績が良かった。⇒海外の教育は暗記があまりいらないので、暗記が不得意で、知識もまるでない私でも点が取れた。というわけで、高校を学校トップの成績(海外だと高校最後に総合テストがある)で卒業したりしました。私と同じ点数だった男の子は、ケンブリッジに行きました(自慢)。大学も、一番上の学位で卒業しました。
学校のテストや課題って結局、『頭が良い悪い』というよりも、『質問相手が求めていることを的確に判断し、明確に提示できるかどうか』なので、デザインに近い行為だと思います。アーティストや研究者気質じゃないですね、私は」(女性 デザイナー)
「勉強がすごいできた。⇒中学校ぐらいまでものすごい勉強ができた(高校は、まぁみんな似たようなもんなので、ふつうでしたが)。
学習塾や予備校はぜんぜん行ったことがないし、授業だけ。英才教育的な要素もまったくない家庭。
でも成績や順位がいいことと「優れてる人」ってことはまったく別物だって小さい頃から思っていて、成績がよいのは『悪いよりはいいほうがいい』くらいにしか思っていなかったし、まわりに点数とか順位をどうこういわれるのがうっとうしかった。『この学校で一位だったとしても何の自慢にもならないでしょう、たかがテストで。だいたい教科書の範囲内、授業でやったことしか出ないし。ひとを判断するのはそんな小さいことじゃないでしょう』って思っていた」(女性 デザイナー/アートディレクター)
将来なりたいものを決めた時期もきっかけも人それぞれ。
・「奈良美智さん+graf の方々のお手伝いをした。何年か連続して、展示のお手伝いができる機会があり。10代のわたしには、クリエイティブ業界でばりばり働いている人たちと身近で関われたのは、かなり衝撃的&印象的な出来事でした。『チームワークの楽しさ』や『クリエイティブ業界の人のおもしろさ』に気づき、将来自分はこういう場に身を置くと決めました」(女性 デザイナー)
クリエイティブな環境に自ら切り拓いていくって尊敬しますね。
得意だったことからデザインの仕事に繋がっていった人たちも。
・「レタリングが好きだった。袋文字描くのがすごい得意だった。⇒字のかたちを思いうかべると、すいすい輪郭が描けて、大きさの配分も上手だった。(余談ですが息子〈小3〉もすいすい袋文字描いてるのに気づいてびっくり。誰も教えてないのに)あと中学の美術の授業でレタリングをやったとき、あんまりにも面白くて衝撃! ずっとこれだけやってたいって思ってた。
…そしたらデザイナーになったよ!」(女性 デザイナー/アートディレクター)
・「幼いころはミニカーやラジコンなどのおもちゃが大好きで、走っている車の名前も細かく覚えていたらしい。そういえば、デザイン学科に行こうと思ったのも車などのプロダクトデザインを勉強しようと思ったのがきっかけだった」(男性 アートディレクター)
そして、エディトリアルデザイナーの場合、好きなこときっかけに“雑誌”を手にしても、見ていたところが違うみたいです。
・「中学生くらいから雑誌がすきで『オリーブ』や『mcシスター』など読んでいました。最初はCMを作りたいと美大進学を決めていたのですが、多摩美に入って3年次にエディトリアルデザインの授業を受け『これがやりたかったんだわー』と目覚めた感じです。。。」(女性 デザイナー)
・「高校生のときはサッカー中心生活。田舎なので車とかバイクに興味が移る。エンジニアになるかデザイン系にいくか迷う。当時、ポパイとかパルコ出版の『ビックリハウス』『SUPERART』という雑誌が面白くて、こういう雑誌を作ってみたいと思ってた」(男性 クリエイティブディレクター)
・「『今の仕事に影響した過去の体験』、多分ですが高校生か浪人生くらいにマガハの『Relax』を読んだことです。こんな、おもしろいこと、かっこいいこと、仕事にしたら幸せだろうなーと。ちなみに就活時の第1志望もマガハでした」(男性 ディレクター)
・「中学時代:なんとなく普通高校に進学するのがいやで英語に力を入れている学校へ進路を決めました。多分その頃から『普通のOL』になる事に対して充実した人生を見い出せなかったのだと思います。
高校時代:バンドブームにがっつりハマり、特定のバンドのCDを買い集めるようになります。その頃『パチバチ』という音楽雑誌をよく買っていたのですが、かなり斬新なデザインでした。文章もライターの好き勝手に書いてる印象があり、『雑誌を作るって面白そう!』と思い始めました。その頃母親が通っている趣味の絵画教室の先生が武蔵野美術大学出身で、なんとなくそこでデッサンを学ぶようになります。その流れで美大を目指したのか、そこで受験のデッサンを学んでいたのかは忘れましたが、美大受験を高2の頃から目指していたのは確かです。『美大でもアブラや日本画は仕事にならないから嫌だな。食って行くにはデザイン科だな』と強く思っていたことは確かです」(女性 アートディレクター)
・「ぱっと思いつかないのですが、強いてあげるならマンガでしょうか。『ジャンプ』隆盛の時代に幼少期を過ごし、あらためて考えれば初めて購読した『雑誌』でもあるし、鳥山先生の絵を模写したりもしていたし、少なからず影響を受けていると思います」(男性 デザイナー)
“人を楽しませたい、役に立ちたい”と思ってデザインの道を選ぶ。自己表現ではなく、人のため・問題解決のためのデザインに興味が向くのですね。
・「中学時代は某バンドに熱狂。音楽は勿論、彼らのCDジャケットや掲載誌のデザイン、写真の善し悪しにも凄く着目しており、(幼稚園や小学校のときに好きだった)『絵画』でも『漫画』でもない美術系の方向をぼんやり考え出した。
高校時代は美術部で「イラストがうまい子」のポジション。無印のA4ノートの表紙に漫画を描いてあげては喜ばれていて、私自身も嬉しかった。これが『デザインでひとを楽しませることの喜び』の原体験の1つ。この時、友達も私も本当に嬉しかったという気持ちを絶対忘れちゃだめだと、今でも折りに触れて思う」(女性 デザイナー)
・「小学校に通いだしてから、母の勧めで、絵の教室に毎週通うことになって、初めて『絵』を意識的に描き始めました。毎回、テーマを先生が出して、それに沿って自由に描くもので、テクニックなどはあまり習わず、創造性を重視した教室だったように思います。それもあってか、学校で(中学・高校も)図工の成績はいつも良かったです。コンクールとかでも何かの賞を貰った気がします。こいういう成功体験が、自信に繋がって、なんとなく自分は絵がうまいんだという自意識が生まれていました。
そんな状態で、高校生、部活しかしていなかった自分が、ふと大学の行き先を考えたときに、美大に進むかと。その後自分より100倍うまい人たちを目の当たりにして心くじけながらも、なんとか美大に進み、写真や映像やウェブや、いろんなものに浮気しながら、タイポグラフィに興味を持って、エディトリアルデザイナーとして就職しました。昔から、何かを『頼まれやすい』性格だったのと、自己表現より、人の役に立つほうが好きな性格でした。生徒会長や部活の部長なども、人に自分で立ち上がるというより、人に頼まれる。そんな感じです。それが結果的に、美大に進んでから、アーティストではなくデザイナーを選ばせた理由かもしれません」(男性 アートディレクター)
●[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
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⇒[デザイナーの素]2. 好きだった/やってた[よむ・かく・つくる]
⇒[デザイナーの素]3. 好きだった/やってた[コト・モノ]
⇒[デザイナーの素]4. 習い事&部活、学校での成績、将来を目指すきっかけ