2013/11/06 13:30
こんにちは。踊る広報担当 岩楯です。
コンセントでは、10月31日に社内共有会「ドーナツ・チューズデー(略してドーナチュ)」を行いましたー。
9月にオハイオ州にて開催されたコンテンツ・マーケティングのグローバルカンファレンス「Content Marketing World 2013」。参加してきたイケメン役員しおさんに、どんなカンファレンスだったか、セッションではどんなトピックが紹介されていたかなどをお話していただきました。
カンファレンスの概要に始まり、しおさんが参加したセッションの中から印象に残ったものをいくつかピックアップして内容を紹介してくれたのですが、マクドナルドやヒルトンの事例の紹介もあり、コンテンツ・マーケティング視点でみるとコンテンツ戦略を考えるときの要素1つひとつがみえてわかりやすいなと思いました。
あと、「ブランド・プロミス」と「ブランド・パーパス」の話もなるほどなーと納得。
カンファレンスの詳細について知りたい!という方は、しおさんに書いてもらった記事がコンセントのラボにアップされているので、ぜひそちらを読んでみてくださいね。
⇒Content Marketing World 2013 in オハイオ 参加報告
この写真には収まりきってないですが、40名近くの社員がドーナチュに参加。
Content Strategistのいるコンセント。コンテンツ・マーケティングはやっぱり興味深いテーマですからね!
「“コンテンツ・マーケティング”の中での“コンテンツ”の定義は?」
「どうやって効果を実証していけばいいんだろうね」
など、最後は議論で盛り上がりました。
ところで!
ドーナチュが開催された10月31日はハロウィン♪
ということで、ドーナチュにもハロウィン色を取り入れてみましたよ。
ホントは大きいかぼちゃでジャック・オー・ランタンを作りたかったけど、やり過ぎかなって自粛。その代わり(?)に、なおちゃんが“かぼちゃ”コンセプト、私が“魔女”コンセプトのファッションで来てみたというわけです。
以上、ハロウィンドーナチュのレポでしたー
2013/11/05 11:06
・いま作ってるサイトに、説明用の写真をいれたい。
・飾り素材に写真をつかいたいが、レンポジサイトにちょうどいい写真がない。
・インタビュー記事を作成するが、1点、写真を入れたい。
・文章だけのページなので、何か写真を。
・手順説明に、写真を入れたら分かりやすくなりそう。
→だけど、カメラマンを呼ぶ予算・もしくは時間がない。
→そもそもカメラマンにどうやって連絡とるかが分からない。
→芸術的写真は不要なので、カメラマンは要らないのではないかとクライアントに言われた。
→写真点数が少ないので、カメラマンを呼ぶほどでもない。
→リリース日、校了日が迫ってるので、時間がない。
こんなことありませんか。しかたないので、とりあえず、何年前に買ったか分からないコンパクトデジカメで自分で撮ってみたけど、なんかイマイチだけど、とりあえず載せてみた、そんなことありませんか?
デジカメは10年くらい前にくらべて、画質も画素数も雲泥の差があります。内部にコンピューターが入っているため、パソコンやスマートフォンと同じで、かなりの速さで進歩しています。
昔のカメラは、現在のカメラのように高性能では無かったため、上手にきれいな写真を撮るためには、「習熟とカン」が必要でした。しかし、現在のカメラは、各種自動制御が高性能化しているため、オートフォーカス任せでピントを合わせてシャッターを切るだけで、かなりきれいな写真が撮れます。特にデジタル一眼の高性能化が凄いです。
10年前には、カメラマンにお願いしないと撮れなかったような写真が、いまは、最新のデジタル一眼で撮れば、自分で撮れてしまうのです。
とはいえ、だからといってカメラマンの存在が不要になるわけではありません。
・スタジオでの撮影:撮る道具を素早く準備する、上手に光を当てる、いちばん良い構図を迅速に探す…
・インタビュー、モデル撮影等:笑顔を引き出す、人物のよい表情を逃さず撮る、構図を整える…
・スポーツ撮影等:かっこいい瞬間を逃さず撮る…
・その他:限られた時間のなかで、効率よく撮影を進める。
…というようなことは、熟練したカメラマンにしか出来ないことで、わたしたち素人は、たちうちできません。つまり逆に言えば、上記のようなことが重要視されていない状況においては、わたしたち素人でもどうにかできる「可能性がある」、ということです。
素人が綺麗に撮るためには、高性能カメラの手助けがあってこそです。10年くらい前に買って机の中で眠っていたコンパクトデジカメより、今年買った最新のデジタル一眼カメラのほうが、ラクして綺麗に撮れます。しかし、どの機種を買ったらいいか迷います。機種、価格帯、多種多様です。
→APS-Cのデジタル一眼レフの、レンズ2本付属のキット(ダブルズームキット)
ファインダーがついていて、覗くと、ガラス素通しで向こうが見える、レンズを外すと、鏡が上を向いてついているタイプの一眼です。現在は背面液晶で見ながら撮る機能も付いています。ファインダーから覗いて撮るときは、オートフォーカスが速いです。後ろがボケていて、被写体が浮き上がっている写真も、全体にピントが合っている遠景写真も、どちらも程々に良くこなします。本体のサイズも、中庸です。特に何を撮るというのが決まっていないけど、カメラを用意したい、もしくは、様々な用途に使いたい、というときに一番お勧めです。レンズが2本ついているものは、個別に買うよりかなり安い価格設定になっているうえ、付いているレンズは高性能なので、こちらで。
※APS-Cやフルサイズって何?⇒http://diji1.ehoh.net/contents/full.html
お金に余裕があるのなら、レンズを一つ買い足すとよいでしょう。交換レンズで、ズームがついていないものがあります。「35mm/f1.8」「50mm/f1.8」のようなレンズは、交換レンズとしては価格が安い割に、非常に高画質に撮れます。ズームがないので、不自由と思われがちですが、「どうせあとでトリミングするんだし」と考えるならば、実はそれほど不自由ではないのです。特に、今どきの画素数が多いカメラで使うならば、解像度的に、トリミング可能幅も広いため、重量が軽い、高画質である、という点でかなりアドバンテージが有るのです。そして、後ろがボケていて、被写体が浮き上がっている写真を簡単に撮ることが出来ます。
内蔵ストロボは光量が少ないうえ、角度の自由度がないため、会議室のような広いところで撮るならば、外付けストロボがあると綺麗に撮れます。これを買う時、「ワイヤレスで使える」つまりカメラの上に載せなくてもカメラと連携できるものを買うと良いです。向こう側からストロボで照らしながら、こちら側から撮る、のようなことも可能になります。カメラ本体側の対応状況に注意して下さい。
三脚は、しっかり構図を固定したいときと、夜景を撮るときに有効ですが、必要性を感じてから買い足せばよいでしょう。そして、実際買うとなると、壊れるまではずっと買い換えることがない道具で、デジタル用品のように数年で新機種に買い換えるようなこともないので、大金はたいてでも最善のものを買うほうが良いです。
もちろん、「趣味と共用」というつもりの人は、いちばん自分が好きなカメラを買ってかまいません。自分のモチベーションを上げるには、見た目が好みであることもまた重要です。
カメラ買いましたか? 仕事に使う写真を自分で撮影するには、どういった手続きを追えば、うまく、綺麗に撮れるのか。また、撮影自体が効率よく進むのか。「重要な事を」「コンパクトに」知ることが出来るよう、連載を通して、説明していく予定です。
唐揚げ大好きアートディレクターの横地でした。
【関連記事】
⇒Photoshop補正講座〜ヒストグラムとレベル補正とトーンカーブ〜
【“仕事に使う写真を自分で撮ってみよう”シリーズ記事】
⇒第一回:まずはカメラを買ってみる。
⇒第二回:美人に目を奪われて、大事なこと忘れていませんか?
⇒第三回:光を扱う力が…欲しいか?
⇒第四回:時よ止まれ!「ザ・ワールド」!!
⇒第五回:ボケにツッコんで学習する
⇒第六回:ビューティフル・ホワイトニング
2013/10/04 15:47
すっかり足袋が社内履きになった、デザイナーの横山詩歩です。
調子に乗って自己ブランディングを「足袋で旅するTABIガール」で浸透させようかと企み、先日は台湾にも足袋を履いて行ったのですが、サストコのエロ編集長・青木さんには「そのブランディング、一押し足りない」と一蹴されてしまいました(一流ADは厳しいですねえ)。
そんなことはさておき本日は、私が足袋の良さを知った直接的原因である氷川神社例大祭での神輿担ぎについてレポートいたします!
「神輿担ぎが本業」という大岡さんの呼びかけで、三連休ど真ん中の9月15日(日)、大岡さん、新井さん、石野さん、森國さん、赤羽さん、筒井さん、横山の7名で、氷川神社例大祭にてお神輿を担いできました!
ちなみに、大岡さんは三度の飯より神輿好きとして社内では有名で、「担ぎ過ぎで左右の肩の高さが違う」という本気っぷりです。台風直撃の予報だったものの、小雨が1回ほど降ったのを除き、「大岡さんの神輿愛としか思えない」奇跡的な晴天に恵まれました。
氷川神社例大祭では、渋谷氷川神社の各祭礼会の神輿が担がれます。今回、我々コンセントチームは、弊社クリエイティブ・スペースamuの大家さんの紹介により、恵比寿西町会の半纏で恵比寿商店街の神輿を担ぎました(恵比寿西町会の半纏は柄が可愛くて、私は満足)。
この例大祭の前は存在すら知らなかった渋谷氷川神社ですが、緑が多く茂るなかなか立派な神社でした。
今回が神輿初体験だった私ですが、身長が足りず、男性群の中に入ると肩が棒に届かず「air 神輿」になってしまうという盲点が・・・。というわけで、私のように背が低い方は、好きなときにいつでも担げるわけではなくタイミングをきちんと見計らう必要があるのですが、時間が経つとだんだんと周りの人と身長が合いそうなところに入るコツがわかるようになるものです。また、その辺りの考慮はきちんとされており、女性が中心になって担ぐ時間が設けられていたり、邪魔なだけな「air 神輿」状態に突入しても文句を言われたりもしませんでした。更に私は、神輿のプロ大岡さんに後ろに入っていただき、神輿を下げてもらうという裏技作戦も駆使し、ばっちり担ぐことができました◎
神輿は確かに重いのですが、最も辛いのはタイミングがズレてしまい棒が肩に当たること。この痛みを極力防ぐため、神輿を担ぐ際は、棒と肩が離れないよう手と腕で固定するような持ち方をします。ちなみに背の低い私はつま先立ちをしていたため、後半では足の裏が痛かったです。
お囃子も付き、みんなで常にかけ声&手拍子をしているので、担いでいないときも十分楽しめます。
“東京都内では「えっさ、えっさ」の江戸前担ぎが有名であるが、近年は神輿同好会等の影響で「オイサ」「セイヤ」「ソイヤ」の掛け声が増えている。” (from Wikipedia「神輿」)
とのことですが、今回恵比寿商店街のお神輿は「えっさ」「おいさ(ほいさ?)」たまに「せいやーー」というかけ声でした。いつの間にか、石野さんの「えっさ」に赤羽さんが「おいさ」と返す新ユニットが結成されていました。
今回私たちは恵比寿西町会の半纏を着ていたため、恵比寿西が私たちの町内ということで、恵比寿西内では優先して担がせていただきました。ただ、コンセント本社の所在地は、恵比寿西ではなく恵比寿南なんですよね。しかし、奇遇にも神輿のルートにコンセントのビル前の通りも含まれていたため、会社の前でも担ぐことができました。会社の前で担げたのは、やはり嬉しかったですねー!
13時半から20時までのロングセットなイベントだったのですが、神輿はずっと担ぎっぱなしというわけではなく、休憩所での休憩を適宜挟みます。というわけで、ビールとおつまみ類が、定期的に支給されます。おつまみは何故かキュウリの支給率が高かったです。祭りによってはアルコールNGなものもあるそうですが、疲れた身体にビールは個人的には最高だったので、個人的にはビール支給はかなりのプラスでした。
余談ですが、思春期をオランダで過ごした私にとって、個人的に祭り(フェスティバル)っていうと、これなんですよね。
女王の日(現・王の日)。国中がオレンジに染まって、様々なイベントで騒ぐ日。
ぶっちゃけ日本の祭りへの軽いミーハー心で参加した神輿担ぎですが、理屈抜きでとても楽しかったです。当日、大岡さんが、「神輿を担いでいると、だんだんランナーズハイのような、トランス状態に入る」とおっしゃっていたのですが、これは体験してみるとかなり納得できます。私はクラブやフェスに行くのが好きなのですが、そこでの高揚感に通じるものがありました。というより、そもそもクラブやフェスの文化はこういった宗教的行事を模範しているという事実が、経験として腑に落ちました。
フェス的な体験との類似点が多いということは、意外と神輿担ぎは、若い人が共感出来るポイントを多く秘めているのではないのでしょうか。全国的に神輿業界(?)では若い担ぎ手を増やしていきたいという思案があるかと思うのですが、その気になればいくらでもブランディングが再考できそうだと非常に勝手ながら感じました。宗教行事ということで踏み入り方に考慮が必要にはなりますが、最近の若い子(私などが典型なのですが)は「屋外で、リズムに合わせて、思いっきり身体動かして、一体感を味わう」ことに飢えているので、そこを上手くマッチングできると双方にメリットがある気がします。
というわけで、なかなかきっかけがなかったり、敷居が高そうなイメージの神輿担ぎですが、担ぐ機会に恵まれたら、飛び込んでみると楽しいですよ!
個人的にはばっちりエンジョイしたので、来年も是非、神輿を担ぎたいと思っておりますー!(大岡さん&グループのみなさま、よろしくお願いしますー!)
2013/09/26 16:03
「デザインの仕事」と聞いて、何を思い浮かべますか?
絵を描いたり、模型を作ったり、白シャツを着てコーヒー飲みながらメガネ越しに遠くの方を眺めたり……。学生の頃、私 石野はそんなイメージを持っていました。
「デザインという手段」を用いてクライアントの抱える課題を解決する。コンセントの仕事は体験してみないとなかなか想像しづらいんですよね。
と・い・う・わ・け・で・!
9月2日〜6日の5日間、学生を対象にしたインターンシップを実施しました。テーマは“社会人向けの新しい「食」サービスの開発”。コンセントのデザインワークを体験でき、社員の生活スタイルも知れるという(食だけに)一粒で二度おいしいプログラム。今回は8名が参加し、4名×2チーム制のグループワークで進めました。
まずは座学。サービスデザインの考え方と手法について理解してから、最終日に実施するサービス提案までのプロジェクトプランを設計します。
続いて調査。社員へのインタビューや恵比寿駅近辺の飲食店フィールドワークなど、社会人の食生活の実態へと迫ります。
調査で集めた情報を統合してターゲットの人物像を設計し、1日の中で食サービスとの接点がどこにあるかを探ります。いよいよ大詰め。
プレゼンまであと1日。ターゲットにどんな体験、どんな価値を感じてもらえれば、新しい食サービスとして成立するのか。これまでの成果物を総動員したブレストが続きます。
最終日。20名を超える社員の厳しい目が注がれる中、ついにプレゼンテーション! そうそう、これってコンペ形式なので、インターンシップとはいえきっちり勝敗がつく真剣勝負です。
いやー、最近の学生って、プレゼンうまいんですね。しっかりとコンセントのデザイン思考を取り入れた論理展開が印象的でした。正直、5日間でこなせるのか? という密度感のプログラムでしたが、チームワークで乗り切ってくれて、先生感激。インターンシップはこれからも定期的に実施するので、気になったあなた、気軽に申し込んでもらえると嬉しいです。
※インターンシップ募集の情報は、コンセントのコーポレートサイト内「採用情報」ページにて随時お知らせします(次回は2014年2月の開催を予定)。
【サービスデザインに関するコラム、レポート】
「サービスデザインについてもっと知りたい」という方は、コンセント代表/インフォメーションアーキテクトの長谷川によるコラムや監修をした書籍、海外カンファレンス参加レポートがありますので、ぜひご参照ください。
⇒[レポート] Service Design Global Conference参加報告
⇒ [コラム] サービスデザインとは何か ~デザイン能力はサービスビジネスの不可欠要素に~
⇒[サストコ] コンセント世界行脚:Service Design Global Conference in Paris 〜”Cultural Change by Design”
⇒[サストコ] コンセント世界行脚:Service Design Global Conference in San Francisco 〜”海を越えてサンフランシスコへ”
2013/08/30 12:00
特集の企画を決める、ある日のサストコ編集会議。
「公開が8月ってことは夏。夏といえば夏休み。夏休みといえば子ども!」
「子どもっていえば、コンセントも子育て中のパパ・ママの人が増えてきてるよね」
「“子育て”。デザイナーだと、子どもの教育もやっぱり違うのかな? クリエイティビティを高めるようなことを教えてたり」
「そもそも、私たちコンセントやグループ各社の人が、子ども時代にどんなことに興味をもって、どんなふうに育ったのか気になってきた。“デザイナーは子どものころ○○をしてた人が多い”とか、なにかデザイン会社ならではの傾向が見つかったりして」
「他の会社にアンケートとれないから比較はできないけど、面白そうだし、きっとみんな知りたいはず!(決めつけ)」
と決まったのが今回の企画「デザイナの素〜今の私を構成する体験〜」です。
早速、コンセント、所属するAZグループ各社のスタッフに協力してもらいアンケートを実施。
質問は
「子どもの頃によくやっていたことや好きだったこと」。
また合わせて実感している人には
「今の仕事に影響した過去の体験」
も書いてもらいました。
全員分はさすがに集まらなかったけど、興味深い回答の多いこと、多いこと!
さて、どう分類していこうかしら??
まずは集まった回答から、いったん年代別に単語単位で抽出。
付箋に書き出していき、全体を把握。
で、下記4つのカテゴリーを考え出し、回答内容を分類していきました。
ぜひ気になるところから読んでみてください。
「これは誰だろう?」
「これ、やってた、やってた!」
「子どもにやらせてみようかな」
なんて思いをめぐらせ楽しみながら読んでいただけると嬉しいです♪
ここに挙がっていることを自分の子どもにチャレンジさせてみたら
将来デザイナーになるかも?!
そしてこの各カテゴリーのイラスト。
コンセントの中岡画伯に描いてもらいました!
ざっくりオーダーにもかかわらず、ファンタジックな世界観のイラストを創ってくれたんです!!
感動ー!!!(カブトムシの絵しか知らず、ごめんなさい…)
敏腕ディレクター、パパ、夫、画伯と多彩な顔を持つ中岡くんにコメントをもらいました。
メカとか女子とか不吉なものとかをよく描いています。
なお、お小遣い制が我が家に導入されてから本物のビールを飲んでいません。
ビール券(ituneのギフトや図書券などでも)いただければ似顔絵でも何でも描かせていただきます。
http://nakashin.tumblr.com/
現在、コンセントの渡邊徹氏とともに「Feel so books!」というチームにてTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2013に出展するための本を作っております。
「Feel so books!」http://feelsobooks.tumblr.com/
「TOKYO ART BOOK FAIR 2013」http://zinesmate.org/lang/jp/the-tokyo-art-book-fair/fair-info
画伯、コメントありがとう!
本好きにはたらまない活動ですね。がんばって〜
似顔絵を描いてもらいたい人は、画伯にビール券を贈ってくださーい。
さらに。
トップページの写真は、コンセントのメンバーの幼少期のものです。
サストコ アートディレクター&コンセントオシャレメンズ代表の本多くんが、さらに素敵にビジュアルにしてくれました。
いっつもいい仕事をしてくれます。感謝!
「子どもの頃の写真、もってきてー」という無茶ぶりなお願いに協力してくれたメンバー多数!
感謝です。ありがとう!
こんなに集まったんですよー!!
そんなこんなで(どんなだ?)、コンセント、グループ各社の力を合わせての今回の企画。
同僚と。家族と。友達と。一人でこっそりの方も(?!)お楽しみください♪
⇒[デザイナーの素]1. どんな環境で育った?
⇒[デザイナーの素]2. 好きだった/やってた[よむ・かく・つくる]
⇒[デザイナーの素]3. 好きだった/やってた[コト・モノ]
⇒[デザイナーの素]4. 習い事&部活、学校での成績、将来を目指すきっかけ
[Special Contents デザイナーの素]ってどんな企画?
子どもの頃、みなさんはどんな体験をしましたか?
この Special Contents「デザイナーの素〜今の私を構成する体験〜」は、コンセントと、所属するAZグループ各社のメンバーが、子どもの頃によくやっていたこと、好きだったこと、今の仕事に影響する過去の体験を紹介する企画です。
企画の詳細はこちらの記事を。
⇒[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
それら体験エピソードを勝手に(伝わるしくみじゃないけどw)4つに分類。
この記事では、環境に関する体験談を紹介します。
発見したこと
・本に触れる機会の多い環境だった人が多い
・親が協力的だった人が一定数いる
・賞をとったり褒められたりすることは、自信やモチベーションUP、
将来の夢につながるなど好影響を与える
・ネガティブな状況や苦手なことを別なことで補いプラスにしている人がいる
「百科事典が好きだった」という男性ディレクターは、「たぶん百科事典ブーム的なコトが世の中的にあって、家に何セットかあったのをよく眺めていた」そう。
“家”や“家庭”で本が身近だった人は多いようです。
・「読むことが好き。⇒父の書棚が家のいたるところにあり、レーティング無視で自由に読めた」(男性 デザイナー)
・「家の本棚には画集があった。小学生低学年の頃、キリコ、ダリ、エルンストといったシュルレアリストの絵画が何故か好きで、背徳的な気持ちが多少あったからか、親からこそこそ隠れては画集を開いていた。ページをめくるたびに広がる鮮烈なイメージの数々がどこか恐ろしくて、でもその力強さ、美しさに目が離せなかった」(男性 デザイナー)
周りにあるものに対しての子どもの興味、感受性の深さってすごいですね!
・「読書。⇒両親が出版社勤務ということもあり、子供の頃からいろんな本に触れさせられました。いまこの仕事をしているのはその影響だと思います」(男性 出版社 取締役/営業部部長)
出版社勤務という同じ道を歩んでくれるって、ご両親からしたら嬉しいでしょうね。家庭での会話も本に関することがやっぱり多くなるのかな。読書感想文の宿題は楽勝だったろうな…と思ったけれど、逆にプロだけに求めるクオリティが高かったりしたんだろうか。興味深い。
両親に与えられたことで興味をもったり、関心があることに対して両親が投資してくれてますます好きになったり、親が○○を与えてくれた、という体験談を寄せてくれた人は多かったです。
・「本を多く与えられた。
⇒幼少時は毎月絵本が届くサービスを利用しており、それを楽しみにしていた。成長してからも誕生日やクリスマスなどプレゼントはすべて本だった。本なら好きなだけ買ってもらえるという約束があった。幼稚園に入る頃にはひらがなは読み書きできた模様」(女性デザイナー)
まさに“本に囲まれた生活”。“ひらがなを覚えよう”というのではなくて、“本を読みたい”っていう欲求があるからこそ、その目的を果たすための手段としてひらがなの読み書きができるようになるのかも。大人が英語を勉強するときも海外出張のため、とか目的がある人の方が吸収力がハンパなかったりするような…。
・「もともと神戸の生まれなのに、育ったのが福井という田舎だったこともあり、色々と知れば知るほど東京とか最新のものへの憧れがどんどん膨らんでいく一方。なのに現実は、お金もなく東京も遠い、テレビのチャンネルも少ない。その落とし所として選んだのが、唯一ふんだんに買い与えてもらえた雑誌を読むことに繋がったような。
今にして思うと、モノやコト自体よりも、最新情報を追うのが好きになったのはその辺りに理由があるような気がします」(男性 クリエイティブ・ディレクター)
さらに彼は小学生から新聞を読んでいたそう。楽しみ方がマニアック…。
・「父のとってた朝日、日経、地方新聞を意味もわからず読んでたのが3、4年生ぐらい。全段ぶち抜き4Cの広告がキレイだなぁとか、サンムツの雑誌広告見てなんか知ってる単語が出てきたーとか憶えてる。他にも、カード会員誌『GOLD』とかニッセンのカタログとか『家の光(農協の雑誌)』まで家の中にあるものはなんでも読んだようなw」(男性 クリエイティブ・ディレクター)
“なんでも”!! 読むことへの情熱、すご過ぎ!
本以外ではこんなアイテムが。
・「物心ついたときから両親の影響でスキーを毎年冬春でガッツリやってました。グッズとかも毎年のように買ってもらっていたので、今思うとかなり贅沢だなと思います。すごく上達して楽しかったんですが、中学の終わりくらいから友達と季節のイベントで遊ぶのが楽しくなってしまい、高校くらいで趣味程度になりました」(男性 ディレクター)
・「大量のレゴを与えられていた。なぜかは判らない。おもちゃ=レゴだった。日常的に何かを作って壊してた」(男性 ディレクター)
・「絵を描くのが好きだった。⇒ものごころついた頃から現在まで。とにかく画材・紙をたくさん与えてくれた親には感謝しています。その結果として絵好きが高じて中学高校は女子美に行き、課題制作と〆切り追われる日々(時に徹夜も…)を経験。今に何か繋がっているような、いないような…。とはいえおかげで構図や色のこと、デザインのこと、美術の歴史の知識、などといった基礎的なものが身に付いて、今に繋がっているのかなと思います」(女性 プロジェクトマネージャー)
絵画教室に通ったり、書道やピアノを習ったりしていた女性デザイナーは、
「絵や書道、作文で賞をもらったり、褒められるのが嬉しいから続けられた。両親の影響はかなり大きい。子どもの芸術分野への興味を好ましく思い、投資してくれた」と考えてる。
子どもの周囲にどんなアイテムを与えておくかって、興味の向き先や将来にもつながるし重要ですね。
前述の「父の書棚が家のいたるところにあり、レーティング無視で自由に読めた」という男性デザイナーは、
「まだ漢字が読めないころ、コナン・ドイルやポー(なぜ…)の作品に母がルビを手書きしてくれたり、たくさん読むと父が賞状を作ってくれたり。わかりやすくして、読み手を嬉しくさせる仕組みを味わえたことは自分にとって大きな体験だったと思います」
という。
彼のデザインとの向き合い方(読み手にとことん寄り添う、読み手にとっておもしろいかを追求する)を尊敬していたけれど、『なるほど! 過去にこういう体験があったのか!』と、すとんと腑に落ちました。
子どもを楽しませようとしたり、子どもの関心ごとに両親が協力してくれたりという経験をもつ人は多い。
・「小学校の夏休みの宿題の『自由研究』、けっこう本気でやりました。父親が研究者(農業系)をやっていて、この手の教育に熱心だったので、毎年、テーマ設計、実際の取組み、まとめ方までよく面倒を見てくれました。父親のフィールドである『育成環境で、稲の収穫量はどう変わるか』みたいなことや近隣にどんな神社、お寺があるかを調べて回り、そのルーツを辿ったり、けっこういろいろやりました。『気になったことを調べる』『分かったことをまとめる』の基礎を教わった気がします。父親、厳しかったけど楽しかった、今に繋がる体験です」(男性 プロジェクトマネージャー)
・「父親がよく本を読んでくれたりお話を聞かせてくれたあとに、『主人公がどう思ったのか?』『”それ”っていっているのは何をさしているのか』といった問題を出されるのが好きでした」(女性 プロジェクトマネージャー)
・「『ごっこ』遊びが好きだった。⇒◯◯レンジャー的なヒーローになりきる遊びが好きだった。
あるとき、忍者になると言って、『腰からおにぎりを下げて出かけたい』と言い、母親におにぎりと巾着を用意してもらった記憶があります。両親はいつも協力的でした」(男性 プロジェクトマネージャー)
・「父が考えた遊びをしていた。⇒夕食後に家族みんなで父が考えた変な遊びをしていた。ルールは忘れてしまったけど、新聞紙と厚紙で玉と楯をつくって投げ合ったりしてたような。。」(女性 ディレクター)
こういう体験をしていると、自分が親になったときに「同じようにしてあげたい」って思うかもしれないですね。
協力的というか、『母親の愛って深い、大きい』と感じた体験談をご紹介。
・「そろばんとか習字とかピアノとか、一般的な習い事は一切していなくクラシックバレエとお絵かき教室に行っていた。今思うと親は大分いい選択をしてくれたが、まわりの友達が誰もやっていなくて、小学生の時は誰にも理解されなかった記憶。どうやら親同士の間でも、母は理解されていなかったらしい(笑 」(女性 ディレクター)
・「空想癖が激しい。⇒小学校1年生当時、夏休みの宿題の絵日記に空想の出来事を書いて提出。場面設定や展開等は子どもながら辻褄があっていてリアル。今見返してもクオリティが高く驚愕する。母は虚偽の絵日記だと気付いていたが、『本当によく出来ていたから、そのまま提出させた』と当時を語る」(女性ディレクター)
・「パンツ(ズボン)を履いたことがなかった(※生死に関わるほど寒い山形にいた時以外)⇒ズボンは作業着であると母に言われていて、学校は勉強を教わるところで、人にモノを教えてもらうのだからスカートを履くべきと言われていた」(女性PR/マーケ担当)
周囲からの理解よりも子どもにとっていいことを選択するとか、なぜそうなのか理由を含めて作法を教えるとか、大事にしたいことですね。
一方、父親は背中で語る?
・「父親が仕事人間だった。→朝早くから夜遅くまで仕事をしていた。サラリーマン家庭じゃないので、基本1日家にいたけれど、ずっと仕事をしていたので、あまり話をしたことがなかった」(男性 ディレクター)
俯瞰した観点はここから育った?!
・「親族が多く、多数の大人に甘やかされていた。⇒父方、母方ともに本家なので親族、縁者も多く、接する大人が多かった。いとこの中でも最年少なので、一番甘やかされていたと思う。高校入るくらいまで、同年代より大人との方が接点が多かった」(男性 ディレクター)
オシャレ~♪な環境
・「ピアノを3歳から習っていた。⇒母がハモンドオルガン教師だったので、音楽は早かった。家では常にクラシックがかかっていた」(女性 デザイナー)
素敵ー!
・「家業なので洋服に囲まれてた。⇒両親の仕事場にはあまり近づかなかった。意識的に子供がウロウロして良い場所じゃないと思ってた気がする」(男性 ディレクター)
だから彼はあんなにオシャレなんだ! 納得!! そして小さい頃からなんと思慮深い…。
テレビとは無縁?
・「レゴをよくやってた。⇒テレビゲームどころか家にテレビがなかったので、レゴの基本のパーツだけでよく遊んでいた。四角いブロックだけで、なんで飽きなかったのか不思議」(女性 ディレクター)
・「テレビはあまり好きではなかった。⇒チャンネル権がなかったのか、主張しなかったのかは曖昧だが、自分の興味のある番組を見る機会に恵まれず、そのためかその後テレビを見る習慣が定着しなかった。今も家にテレビがない」(男性 デザイナー)
今回のアンケートの回答で印象的だったことの1つが、賞をとった経験を書いている人が多かったこと。
前述の女性デザイナーも「絵や書道、作文で賞をもらったり、褒められるのが嬉しいから続けられた」と言っていました。
褒められて、うまくなったことを実感できると「もっとがんばろう」って思えるのかもしれません。
・「学校の写生コンクールで入賞。好きだった写生がさらに好きになった。
あと習字も好きだった。先生に褒められたり『お手本みたいな字』と友達から褒められてますます好きに。(当時の)文部大臣賞をとって東京都美術館に飾られて、受賞式に参加したのは人生の中で唯一誇らしい経験です」(女性PR/マーケ担当)
・「絵を描いたり、字を書いたりするのが好きだった。⇒習い事をしてたわけではないけど、(絵の)校内のコンクールでは必ず入賞してた。教室内の掲示物もそういえば率先してつくってた。⇒キレイに描いたりすることに快感を覚えるほうだったから、その感覚は今のデザインの根底にあるから絶対影響してる」(男性 アートディレクター/デザイナー)
・「図工。⇒なにか絵を描いたり、動くものを工作したりするのが好きだった。お花畑の絵で小学校三年生くらいのときになにか賞をもらいました」(女性 ディレクター)
・「エレクトーンで入賞したり、子ども向けの発表会でゲスト演奏したりしていて、将来はエレクトーンの先生になるつもりだった」(女性 PR/マーケ担当)
・「文集の表紙や学園祭のパンフレットの表紙などに選ばれたりしました」(女性 デザイナー)
・「県の西地域の版画コンクールで準特選をもらったり、担任を描く校内似顔絵コンクールで金賞をもらったりして、俺ってけっこうそっちの方面もいけるかもと思ってた」(男性 クリエイティブディレクター)
友達から褒められたりするのも嬉しいですよね♪
・「外遊びを一切しない子でした。部屋のなかでなにか工作や手芸、なんてことない物を作ったりして、それを『面白いねー、上手だねえ』と見てくれる友達がいました」(女性 デザイナー)
・「小学校時代から『絵を描くのが好きな子』と周知されていました。高校までエスカレーター式の私学だったので、卒業まで友人・先生はみんなそういった認識だったと思います」(女性 デザイナー)
こんな強者も!
・「読書感想文などの作文が得意で、提出したものは必ず入賞していた。中学生の頃、友人の読書感想文を代筆してあげた経験がある。友人との関係性や報酬で作文のクオリティを操作していたので、代筆したものが入賞することはなかった」(女性 ディレクター)
…「関係性や報酬によってクオリティ操作」ってすご過ぎるんですけどw
これはトラウマになるんじゃ…
・「絵や漫画を描くのが好きだった。⇒小学生のとき授業中に描いた絵を先生が気に入ってくれて、地元の県のコンクールに出して入賞した。しかし、コンクール後に学校に戻ってきた絵を見たところ、先生によってかなり手が加えられていたので、自分が賞を獲ったわけではないと感じた」(男性 デザイナー)
先生ー!! 子どもは細かいところをちゃんと見てるんですよ。デリケートなんですよ~!!
家庭や学校などの周辺環境の影響で、ふと悟ったり、という体験も。
まずは家庭。
・「聖書教育を受けていた⇒人間の力の及ばないところで何かが起こりうる、みたいなことを信じているところがある⇒どんな権力を持った人も、所詮人間、とか思ってるところがある」(女性 PR/マーケ担当)
・「祖母が長期間入院していたせいで、家から登校~祖父の家に帰るという生活が長かった。祖父両親弟叔父叔母従兄弟を含め横浜のド真ん中とは思えぬ大家族時代があったこと。そこで十歳くらいしか年齢の違わぬ叔父に受けた影響はかなり大きい。これがもう原ヲタクというか趣味人でねぇ…(笑)。もちろん電気屋だった親父の影響も大きいけれども、あちらは仕事人だったし。つまり職人の勤勉は父から、趣味人の煩悩は叔父から、という」(男性 アートディレクター)
・「年の離れた弟や妹の世話をしていた。⇒幼い子は突然予想もしないことをやらかしたり、あるいは突然危ない状況になったりするということを経験上わかっていて、できるだけそれらを回避するような行動を取ることが多かった。些細な例でいえば、テーブルの端近くにコップが置かれていたらテーブル中央に寄せるとか、ドアを開ける時に『もしかしたら陰に小さい子がいるかもしれない』と想定してゆっくりあけるとか」(女性 PR/マーケ担当)
物事の先読み感やおもてなし感がすごい!と思っていたけど、こういう経験が関係しているんだー。
・「兄がへたに漫画が上手かったので、漫画やイラストの学校に行こうとして親に大反対をされたのを見たので、上手くやらんとなと思った。けど、自分は兄と比べて全然絵も工作も上手くないので、当時自分がこんな仕事をするとは思わなかった(絵が上手い=デザイン=美術みたいな田舎的な考え方しかなかった)」(男性 クリエイティブディレクター)
また学校関係では、転校が多かったという女性 PR/マーケ担当のエピソードを。
・「転勤族だったので転校が多かった⇒何の文脈もないところに突然突っ込まれても、何らかの共通項を見つけ出すことで友達を作ったりしていた⇒ある場所での常識が別のところでは常識ではない、ということに気づいていた」
・「文通をしていた。⇒転校が多かったので、それまでの友達とわりと長く文通することが多かった」
・「いじめが許せない子だった⇒転校生ゆえにいじめられたり、逆にいじめられる子の気持ちが分かるがゆえに、助けに入ってまたいじめられたり」
と回答。
彼女は人脈がハンパなく広くて、初対面の人でさえも瞬時にうちとけさせてしまうシーンを何度も見たことがある。
『転校が多い』状況を乗り越えるため、『共通項を見つけ出すことで友達を作る』という姿勢をとったのってすごいなーと思う! 繰り返しているからこそ身についていて今に繋がるんだなー。
『ある状況や苦手なことを他のことで補う』という経験をもつ人たちもいます。
・影響した過去の体験は、『10歳でオランダに引っ越した』こと。英語が一切わからなくて、授業とか意味わかんないから座っているだけで、テストが0点で、友達もいなかったときの心の拠り所が、図工(美術)の授業や、絵を描くことでした。肩書きとか、言葉とかではない、世界の人と繋がれる可能性を秘めた行為(音楽とか、スポーツとか、美術とか)って本当に強いと思いました。『わかってもらえなかった』経験があるから、コミュニケーションに固執しているのかな、とも思います。
そして『オランダ』自体も。すべてのデザインがださかっこいいところで、思春期をまるごと過ごしたから」(女性 デザイナー)
『わかってもらえなかった経験』って深い。メールや挨拶、何気ない会話がとても丁寧な彼女。こういう体験がベースにあるんですね。
・「大勢の人の中に入ることや、目立つことが苦手だったので、そのコミュニケーション力不足を埋めるのに絵や文章が得意というのはかなり助けになっていたように思う」(女性 デザイナー)
7月のサストコ特集『人間の中にある「編集デザイン」』の鈴木誠一郎さんの話を思い出します。
「得意なものを広げていって、最後に不得意なところを潰す」
そして、学校ではいろんな委員や係を担当させられることも多いですが、受け身どまりにせずに才能を発揮させてた人たちがいます。
・「小学校時代、掲示委員に入っていて、校内の掲示板を季節に合わせてディスプレーしていました」(女性 デザイナー)
小学生の頃から時間や文脈を考えてるなんて!
・「小中高とずっと学級委員的なことをやってた。親が真面目だったので、自然と小さい頃は真面目だった。クラスに人気者がいると「委員」止まりで、居ないと「委員長」をやってた。誰も発言しない学級会の司会を毎週やり、教師の職業としての立ち位置の自覚のなさや、生徒たちのめんどくさいことへの無関心に、静かな憎悪と怒りが芽生えた。さすがに高校ではもうちょっとましだったので、ああ、高校ってすばらしいなって思った」(男性 クリエイティブディレクター)
なるほど! 毎週司会をやっていたから、今あんなにファシリテーションするのがうまいんですね~!
・「学級新聞とか予定表づくりとか、いつもやってた。
新聞係…ガリ版とか、薄ーいミドリ色のガイドが印刷されたコピー原稿用紙にかいたり、やってましたー。レイアウト得意だった。
あと印象に残っているのが、中学校2年のとき、担任の先生に月刊予定表づくりをやらされていた。よく考えるとそんな係なかったし、私ひとりで一年ずっとだったし、だいたい先生の仕事だったはず…不思議。でもうまく見開きにおさまるように表を組んで、タイトルを袋文字にして色柄(モノクロだけど)毎月変えて、と楽しんでいた。
もうひとつ思い出した。中三のときに卒業アルバムのクラスのページを作る担当をひとりでやらされた。膨大な行事写真からピックアップして切ったり貼ったり、文字や絵で飾ったり。嫌がらせされてばっかりで友達いなかったので、『全員ちゃんと載っているか』『スクールカースト上位者がいいところにくいこんでいるか』とか心砕いて、胃が痛くなりそうだったが、クラスメートは喜んでいた。
自分自身はアルバムを焼き捨てたいくらい中学校が嫌いだったので(親にとめられて燃やさなかったのでまだ実家にはあるが)見返してもいないけど、自分にとってまったくいい思い出がない年月を素敵にまとめたのは、プロの仕事である」(女性 デザイナー/アートディレクター)
エディトリアルデザインをすでにやっていた!? しかもひとりでやっちゃうなんてすごい!
・「小学校低学年の頃の授業参観で、クラスの子達のコメントを黒板に書く係みたいのになった時、ただ書きだすのではなく、すぐその場で、ある観点で頭のなかでグルーピングし、まとめた上で書きだしたので、授業参観に来ていた保護者たちがびっくりしていた(と、授業参観後に、先生と母から言われてむしろびっくりした)」(女性 PR/マーケ担当)
そして彼女は現在、“コンセントIA婦人部”を率いてまーす。
●[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
他のカテゴリーを読む
⇒[デザイナーの素]1. どんな環境で育った?
⇒[デザイナーの素]2. 好きだった/やってた[よむ・かく・つくる]
⇒[デザイナーの素]3. 好きだった/やってた[コト・モノ]
⇒[デザイナーの素]4. 習い事&部活、学校での成績、将来を目指すきっかけ
[Special Contents デザイナーの素]ってどんな企画?
子どもの頃、みなさんはどんな体験をしましたか?
この Special Contents「デザイナーの素〜今の私を構成する体験〜」は、コンセントと、所属するAZグループ各社のメンバーが、子どもの頃によくやっていたこと、好きだったこと、今の仕事に影響する過去の体験を紹介する企画です。
企画の詳細はこちらの記事を。
⇒[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
それら体験エピソードを勝手に(伝わるしくみじゃないけどw)4つに分類。
この記事では、「好きだった」「よくやっていた」ことのうち、『よむ』『かく』『つくる』に関する体験談を紹介します。
発見したこと
・『読むこと』『描く(書く)こと』が好きな人が多い
・『読み・描き(書く)』から『作る』に発展
・工作、プラモ、料理、製本、基地まで、作ることが好き
回答者が20代後半~40代。小さい頃はインターネットや携帯電話、ましてはスマホなんてなかった時代。
…だからかどうかはさておき、予想通り、本好きが多かった!
・「通学時間が長かったので、すごくたくさん本を読みました」(女性 デザイナー)
・「小学生のとき、図書館によく行ってた。ミステリーやSF、戦争ものが好きだった。そういうマンガも。
中学生のときは、星新一、筒井康隆などをたくさん読んでた。ブルーバックスシリーズも大好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)
・「岩波児童文庫を読んでいた。⇒小学校の図書館にあった岩波児童文庫の新刊追加が楽しみだった」(男性 ディレクター)
時間や空間環境も大切なんですね。
とにかく読むことが好き!
・「雑誌だけじゃなく、本なら何でも好きだった。本のかたちなら何でも手当たり次第見てた。子ども向けの本だけじゃなくて、親の週刊誌や小説でも。教科書も大好きだった」(女性 デザイナー/アートディレクター)
・「本(漫画含む)を読むのが好きだった。⇒外で遊ぶより本を読んで過ごす方が好きだった。幼稚園のとき、将来の夢を書く機会があり『本屋さん』と書いた記憶がある。ケーキの好きな子が『ケーキ屋さん』と書くような感覚だったと思う」(男性 デザイナー)
“本を読むのが好き/よくやってた”という共通点をもっている中でも、どう楽しんでいたか、“目をつけていたポイント”は人それぞれなようです。
・「国語辞典を読んでいた。⇒何がキッカケかは判らないけど、国語辞典を読む趣味があった。言葉と意味の説明がループするのを見つけるのが好きだった。高校入るくらいまで続いてた」(男性 ディレクター)
・「お気に入りの絵本のイラストの細部をじっくり眺める」(女性 デザイナー)
・「辞典の挿絵をみるのが好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)
・「ゲームの説明書が好きだった。⇒ゲームもするけれど、何故か説明書を読むのがとても好きでした。世界観がまとまっているところとか、限られたスペースに情報がつまっているところが好きだったのか…そもそも本を初めとする『紙もの』が好きだったのかもしれません(今も同じく)」(女性 プロジェクトマネージャー)
・「絵本、アニメが好き。体を動かして遊ぶことよりも、ひとりで絵本を読んだりアニメを観て過ごすことが好きだった。同じ作品を繰り返し楽しむタイプで、1日1回『ダンボ』のビデオを観ることを日課としていた(5歳当時)。ちなみに『ダンボ』の次は『トトロ』、絵本は『バーバパパ』。1つの世界観を突き詰めるのが好きで、凝り性だった。繰り返し観た作品は今でもほぼ丸暗記している」(女性 ディレクター)
・「本を読むのがすきだった。⇒幼稚園でおべんとうの後の休み時間は絵本を読んでいた。実をいうと当時、絵をみるというよりは文字を追うことの方が好きで、あたまの中で想像するのが好きだった。
ちなみに、すきだったのは『ねずみくんのチョッキ』シリーズと『からすのパン屋さん』。
<余談>大学の卒業制作で『こどもと本』をテーマにしたのでディックブルーナのことを調べたりして、愛のあふれる感じとかデザイナーとしてのスタンスが今では大好きなのですが、うさこちゃんの字のない絵本をみたときに、『あのしゃべらへんうさぎ、こわい……』と思っていた! ごめんブルーナ!」(女性 アートディレクター)
「本を読むのが好きで、明治の文豪にはまっていたかも。⇒今、漱石や鴎外に縁のある文京区に住んでいます」という女性デザイナーは
「『長靴下のピッピ』とアニメの『ニルスのふしぎな旅』が好きだった。⇒今スウェーデンに友達がいたり色々つながりがあるのですが、オリジナルはここか!と思いました」
ということも言っています。
読んだことが時間を経て空間的につながっているところが興味深い。
そして読書が壮絶な体験になっている人たちが…!
・「学校推薦以外の児童書を、2日に1冊の割合で読んでいました。学校推薦図書は、まったく面白くなく、感想文が夜中の12時になっても書けず、本気で泣きました。国語のコンテンツは、悪すぎると思いました。こうした体験が今の編集に役立ち、傲慢かもしれませんが、将来、教師用の創造的教科書を創りたいと思っています」(男性 出版社 編集)
・「幼少時、水木しげるによって地獄について解説された本を熱心に読んでいた。その本によると、天国に行くためのハードルは相当高く(あれでは誰も天国に行けない…)と、寝る前に死後のことを考えて憂鬱になっていた」(男性 デザイナー)
「舐め回すように」見たり、「クレジットを常にチェック」したり「紙質や発色をジャッジ」したり…。
今、エディトリアルデザインを中心に活躍する人からは、幼少期から雑誌や本に対する、容赦ない思い入れがみられました。
雑誌について語らせたらコンセントトップなのではと思われる男性 クリエイティブ・ディレクターの体験。
・「本よりもビジュアルなもの、雑誌やカタログなんかが好きだった。
まずは、雑誌の定期購読の始まりとして、小学館の『小学1年生』と学研の『科学』と『学習』は定番かな。また初めてのマンガとしては『ドラえもん』の単行本を買ったのも同じ時期。ちょうどTVでカラー版が始まった年だったような。ついでに『コロコロ』も読んでた。ちなみに『ジャンプ』は4年生から(今だに読んでる…)。
あとは、何か流行があるとそのジャンルの雑誌がとりあえず創刊されるのもこの時代の特徴で、お約束通りガンダムが流行れば、設定資料集やらアニメ雑誌を買い、ファミコンが流行れば解説書から『ファミ通』も買うという感じ。関係ないけど、『クイズ面白ゼミナール』の鈴木アナが好きで、博士キャラ目指してたと思うw
そうこうしてるうちに、デザインされたかっこいいプロダクトとかイケてるライフスタイル、それらを伝える大人向けの雑誌の存在を知り、『ポパイ』『mono magazine』なんかを読み始めたのが小学6年~中学ぐらい。『デザインオブザイヤー』、『一生モノ』といった名企画の中で出てくる、MA-1やシステム手帳、リーボックのワークアウトなどを誌面を舐め回すように見てたの憶えてる」。
そして、エディトリアルデザインのキャリア豊かな女性デザイナー/アートディレクターは
・「雑誌がものすごく好きで、何でもすみからすみまで読んだ。⇒学研の『学習』『科学』とかから始まって、付録だけでポイ!じゃなくて、ほんとに記事全部どころじゃなく、読者のページも情報ページも編集後記も、ぜんぶぜんぶ読んでた。読者ページの担当編集さんがかわると気づくくらいに。大きくなっても同じで、『STUDIO VOICE』だって全部活字読んでたと思う! クレジットも常にチェックしていたから、『anan』が集合denからアレフ・ゼロに変わってる?あれ?って思った記憶がある。大学の就職課に『アレフ・ゼロ』って貼ってあるのを見て「あ、『anan』とか『CLIQUE』のデザイン! しかしなぜウチに(美大じゃないのに)デザイナー募集?」って思った。だから入社して『Tarzan』や『croissant』に配属になったとき、この人が…!と思う人がいっぱいいてめまいがした」
そう。さらに、
「本の紙質や発色をジャッジしてた。⇒絵本とか教科書、ずいぶん小さいころのことだけど、記憶がある。
『岩波の子どもの本』シリーズの『ちいさいおうち』や『はなのすきなうし』が大好きだったのだが、大人になって見たらPP貼りの表紙になってて大ショック。マットな紙質の表紙の手触りじゃないと台無し! カバーもないし! って思った。
教科書も『国語の表紙の布っぽい筋目が入った紙がよかった』とか『書き方の教材の紙の鉛筆の跡の付き具合がものすごく嫌いだった、でも表紙の水色の色みは嫌いじゃなかった』とか、覚えてる。
配布されたての教科書の、スパッとした小口にうっとりしたり」。
突き詰めることって大切だとしみじみ感じる体験談です。
子どもの頃によくやったことといえばやっぱりお絵描き!
・「雨の日や友達がつかまらない日はもっぱらお絵描き(兄が絵がうまくてよく真似して描いてた)」(女性 デザイナー)
・「ベタに『お絵描き』ですね。毎日くる新聞のチラシの『裏が白くて、ツルツルした質感じゃなくてザラザラしてるやつ』を病的なまでに収集して一生懸命描いてました。スケッチブックとか画用紙とかも持ってましたが、チラシに描くのが好きだったのはなぜでしょうか」(男性 デザイナー/アートディレクター)
質感にこだわるって、子どもの頃からデザイナー精神が芽生えてたんですね、きっと!
・「絵を描く(塗り絵はやった覚えがなく、あくまで自分で描いて自分で色を塗っていた)。写生などは案外苦手だった・・」(女性 デザイナー)
・「平和ポスターとか、虫歯予防ポスターとか、図工の授業で描かされるポスターは好きで楽しく描いていた」(女性 デザイナー)
そうそう! 学校でポスター描かされることってありましたね! 他の人の体験談を聞くと連鎖的に記憶が呼び覚まされる。
「宇宙船の内部とか大型ロボットとかの内部を細かく描くのが好きだった」という男性 クリエイティブディレクターは、
「当時の自由ノートを見ると、なぜかかっこいいロゴを模写してた。ファッションブランドのVANとか、手塚治虫のマンガタイトルとか」
“描く/書く”のは絵だけではないようですね。
・「漢字練習帳のような、小さなマスに色鉛筆で細かな柄(?)を描くのが好きだったことを思い出しました」(女性 プロジェクトマネージャー)
・「幼稚園の頃、まだひらがなも書けない頃、なぜだか誰にも教わっていないのにアルファベットばかり書いていた」(女性 PR/マーケ担当)
スーパー幼稚園生! 英語が身近にある環境だったのかな?
「絵を描くことが好きだった。進化すると、ストーリーも考えて、絵本とか漫画とか作ってた」
という女性デザイナーは影響した過去の体験の一つをこう語る。
「[小さい頃、描いてた絵。⇒小さいころこういう絵を描いてたみたいです。
http://mslocation.blogspot.jp/2011/12/you-stay-who-you-were.html
最後の写真は、その小さい頃自分が描いてた絵を親に見せてもらう数日前に買ったエルメスのスカーフ。幼い頃から、好みとか全く変わってないんだなーと思いました。。。笑」
本当だー! 色遣いの感覚が似てる!!
絵を描いていただけではなく、絵本や漫画などを作っていた人たちがかなり多かったという事実も、今回のアンケートでの発見でした。
・「漫画⇒次の日の授業をノートに書き写す時間があって、時間がいつもあまるので、メモ欄をつかって1日1コマ漫画を作っていた。友だちにも見せて楽しんでた。
内容は、当時はやっていた小室ファミリーの話で、ともちゃんと小室さんカップルの間に、グローブのKEIKOが割ってはいるっていう話。(未来を予測した!?)当時から、かなりミーハーだった」(女性 ディレクター)
さすがコンセント情報通!! 彼女はさらに強者です…。
・「なぞなぞの本づくり⇒なぞなぞにはまって、なぞなぞを集めたノートを母親にコピーをとらせて、本にしてクラスの友だちに配りました(母親の職場でこっそりコピー)」(女性 ディレクター)
“なぞなぞの本”も興味深いけど、母親をつかうって…。こらこら。
・「絵を描くのも好きだった。⇒あんまり画力なかったけど、ディティールが気になる方だった。髪型とか靴とか袖の形とか『これはかわいい。もらった』と思うとそればっかりまねっこしたりしてた。小学校5年の時に転校してきた絵の上手な子とすごく仲良くなって、ふたりでキャラクター作って、シールとかグッズ作ったりマンガ描いたりして展開してた」(女性 デザイナー/アートディレクター)
マンガだけでなく、キャラクターやシールまで。展開力がありますね!
・「絵本づくり⇒保育園に通っていた5~6歳のころ、園児のくせに同じクラスや下級生に読み聞かせるための絵本(ももたろう)を作っていました。どうして文字を書けたのかはまったく覚えていませんが…。
その後、小学生のときにマンガ雑誌を作ったり(『まんが道』の影響)、高校生のときに映画を作ったりなどを経て、大学でマスコミ学を専攻してからデザイン会社に入社というのは、改めて考えると一続きな感じがしますね」(男性 プロジェクトマネージャー)
なるほどー。後輩から尊敬される良き先輩社員は、こうして育ってきたのかー! 納得!!
今に繋がっている人たちは他にも。
・「幼稚園から『お絵描き』が好きだった。その一方で、いわゆるこどもらしい大胆でのびのびとした『絵画』は苦手で、好きでもなく嫌悪感すらあった。自分の描いたものもコンクール等で評価されることはなかった。小学校に上がってもそれは変わらず、徐々に漫画を描くことに傾倒していく。そこで会得したコマ割のスキルは、現在のレイアウト作業でかなり役に立っている」(女性 デザイナー)
そうか! コマ割りのスキルが繋がるんですねー。
・「好きをカタチにすることが好き。プラ板に好きな絵をトレースしてオリジナル下敷きを作ったり、イラストを切り抜いてシールを作ったりしていました。好きなビジュアルを自分の生活に取り込むことが好きだったんだなあと思います。イラストや写真に対して“眼福”を感じることができる下地になっているのではと思います」(男性 デザイナー)
プロを目指してた!
・「マンガ家になりたかった。⇒絵をかくのが好きだった。お話を考えるも好きだったので必然的にマンガ家になりたい、を通りました。
先日聞いてみたら『マンガ家になりたかった』ことのある人まわりにたくさんいたのでデザイナーのマンガ家になりたかった率を聞いてみたい・笑」(女性 アートディレクター)
確かに! これだけ作っていた人がいたらマンガ家目指してた人もたくさんいそう!
そしてほぼ職人(?!)の域に達してた人が。
・「幼稚園で処女作を発表。⇒初めて自分で本を作ったのは幼稚園の頃。ストーリーと絵を自作し、製本も自ら手掛けた。幼稚園の教室の本棚にひっそりと置いておいたら先生に発見された。当時、私のクラスでは帰りの会に1日1冊先生が読み聞かせをしてくれる習慣があったのだが、そのときにわたしの絵本をみんなの前で読み聞かせしてくれた。非常に優しい先生で、今でもよい思い出」(女性 ディレクター)
さらに彼女の敏腕っぷりは続く。
「中学2年では演劇部の友人に依頼され、部員数や公演時間に合わせて戯曲を手掛けた。『銀河鉄道の夜』を題材にしたパロディだったと記憶している。部員でもないのに舞台練習にも参加し、セリフを足したり削ったりして完成させた力作だった。青春の1ページである」(女性 ディレクター)
すごい…としか言葉が出ない。
作っていたものとしては、“年賀状”も多かったです。しかもただ書くのではなくて、こだわって作っていたからこそ、今デザインの仕事をしているのかもしれませんね。
・「年賀状を毎年手作りで(プリントゴッコや芋判で)作っていた⇒今の仕事に少しは近いかも?」(女性 デザイナー)
・「プリントゴッコで年賀状を作るのが好きだった。サンプルから、切り貼りして自分だけの版をつくる。背景と文字で2版を重ねていました。かっこいいのができるととても嬉しかったことを覚えてる。⇒今やっていることに繋がってるかも。印刷って行為もそうだけど、納得のいくデザインができるまで試行錯誤する感じとか」(男性 デザイナー/アートディレクター)
・「年賀状を書くのが大好きだった。この子にはたくさんメッセージ書きたいとか、この子には大きく絵を見せたいとか相手によって内容を変えてたので、全部手書きで毎年数種類・計40枚くらい書いていた」(女性 デザイナー)
子どもの頃からユーザー視点があったなんてすごい!
そして工作をやっていた人も多いようです。
・「工作(折り紙とか)」(女性 デザイナー)
・「よく工作はしていたと思う。発明発見みたいな事が好きで、ちょっとした工夫で使いやすくするとか、ナイスアイデア的な物を作る事が好きだった。なので、見た目はいまいちでした。(デザイナーは見た目にこだわる職業なのに・・・。そこもちゃんと考えてみて!と小さい頃の自分に言いたい。)」(女性 デザイナー)
・「紙粘土とかダンボール紙で工作⇒インテリア事務所で働いてた時に模型作りの手伝いをした時に少し役立ったかも・・?」(女性 デザイナー)
・「テレビ番組の『できるかな』が大好きで、ダンボールでジュースの自動販売機を作ったりしてた。中に私が入れるサイズ。ダンボールを切って缶ジュースやお金も作って。父親に声を出しながらボタンを押してもらい、中にいる私が缶ジュースを出す…ってちっとも自動じゃないけど(笑)。見たモノを自分で再現して作ってみるのが好きだったんだと思う」(女性 PR/マーケ担当)
『できるかな』の影響を受けた人は他にもいました。
・「工作大好きだった。『できるかな』ののっぽさんを師と仰ぎ、ゴン太の後釜を狙っていた。ゴン太不器用で気が利かないし、だいたい指ないし! ぜったい私の方が弟子適任、って思ってた。家にある空き箱やボール紙を切ったり貼ったり、の毎日」(女性 デザイナー/アートディレクター)
あれれれれ?! 工作好きは意外にも女性ばかり!!
作るのが好きな人がいれば、“分解”が好きな人も。
・「家電製品の分解。紙工作。折り紙。虫取り。魚釣り。レゴブロック。学研の電子ボード。ラジオやテープレコーダーいじり。自転車いじり…などなど。これらすべて今の仕事に影響していると思います」(男性 アートディレクター)
コンセントで電子工作部グループを立ち上げたのは自然な流れなんですね~。
・「近所の子とどろだんご作ったり、ザリガニ釣ったり、友達と遊ぶときはとにかく外で遊ぶことが多かった」(女性 デザイナー)
どろだんご、作った、作った! 水分量の加減に凝ったりしませんでしたか?!
・「工作が好きで、近所に掘っ建て小屋を作れる公園があったので毎日通ってた。釘を踏み抜いたり小屋の床が抜けたりしたのもいい思い出」(男性 プロデューサー)
床が抜けるって…。武勇伝は昔から?![1]
・「幼少のころ、田舎なので外遊びを良くしてた。冬は雪でいろいろなものを作った。かまくらとか落とし穴とか。近所の友達が看板屋とか木工所とか精米工場とか呉服屋とかいろいろだったので、そこで遊ぶのが大好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)
落とし穴…。作るのは好きでも落ちたくはないですね(><;)
・「日が暮れても外で遊んでいた。当時住んでいた地域が新興住宅地で、まだ近所に裏山や開発中の土地がたくさんあったので、落ちている廃材で基地を作ったり探検遊びをしていた」(男性 アートディレクター)
基地作り!! なんだかワクワクする響き!
・「『アルプスの少女ハイジ』に憧れて、近所の建具屋さんで、おがくずベッドを作って、思いっきりベッドにダイブして遊んでた」(女性 PR/マーケ担当)
・「手芸(ばあちゃん子だったので一緒にミシン踏んだりとか)」(女性 デザイナー)
おばあちゃんと一緒にミシンを踏むなんて、素敵な想い出ですね!
・「編み物とか裁縫(ぬいぐるみの服を作ってた)、持っていたぬいぐるみに全部名前をつけて家族構成を決めていた」(女性 デザイナー)
名前や家族構成まで決めると愛着がすごく湧きそうですね。「この子ならこんな服を着そう」というのも考えやすい気がします。
・「手芸大好き⇒小学校のフエルトでティッシュケースとかから始まって、縫い物大好きだった。ミシンも上手。
高校の頃から服とか縫って着てた(今もふつうに着てるものアリ)。当時流行ってたESPRITやバナナリパブリックのバッグを友達にみせてもらって採寸したり、ソニプラとかで裏側の仕組みを研究したりて、似たようなの作ったり。友達からも頼まれて作ってました。
余談ですが、私が入社した年はいわゆるボーナス制度があった最後の年で、最初で最後のボーナス5万円はミシンに消えました。今も愛用中」(女性 デザイナー/アートディレクター)
“友達から頼まれて”って本格的!
・「料理。⇒初めて包丁を持ったのが小2でした。それから料理がずっと大好きになりました。今でも週末は料理をします。時間がかかる料理が好きです。得意料理は『豚の角煮』『米粉ロールケーキ』『冷製パスタ』など」(男性 出版社 取締役・営業部部長)
小さい子どもに包丁をもたせるのはこわいと感じる人もいるかもしれないですが、ご両親がそれを許してくれたからこそ料理が好きになれたんですね。
・「お菓子づくりが好きだった。材料単体でも食べられる料理ではなくて(料理も嫌いではないけど)、自分の手作業をとおして粉(原材料)がパン(食べ物)になるというのに面白さを感じている。生地をこねる感触が好き。⇒今のパン作り好きにつながるかも」(女性 PR/マーケ担当)
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[Special Contents デザイナーの素]ってどんな企画?
子どもの頃、みなさんはどんな体験をしましたか?
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企画の詳細はこちらの記事を。
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それら体験エピソードを勝手に(伝わるしくみじゃないけどw)4つに分類。
この記事では、好きだった」「よくやっていた」ことのうち、『コト・モノ』に関する体験談を紹介します。
発見したこと
・ブームは(やっぱり)遊びに影響する
・物事に熱中したり深くとらえている人が多い
・全く異なる物事でも、おもしろいと感じていたポイントが共通しているケースがある
スポーツ好き、よく外で遊んでた、という人はやっぱり多いですね。
・「幼少のころと変わらず外でよく遊んでた。野球、秘密基地、焚き火、虫取り、空工場探検、海、山、滝、キャンプ」(男性 クリエイティブディレクター)
・「なんだかんだスポーツしていた。⇒ベタに野球・サッカーやってたし、冬はアイススケート(西武のホッケー選手に教わってた)、スキー。今からはまったく想像がつかない」(男性 ディレクター)
・「サッカーが好きだった。チームプレーだけど、個人技でドリブルでどんどん人を抜いて誰にもパスを出さずにゴールするのが好きだった」(男性 デザイナー/アートディレクター)
・「サッカーが好きで10分しかない休み時間のたびにグラウンドまでダッシュしてた」(男性 プロデューサー)
次の授業に遅刻はしなかったかしら…。
・「運動⇒ドッチボール、一輪車、鬼ごっこなど運動するのがすきで、休み時間も放課後も外で遊んでました」(女性 ディレクター)
・「一時期鉄棒にはまって、毎日校庭の鉄棒で友達と遊んでいた」(女性 デザイナー)
前回りの練習中、両手を離して頭から落ちた経験があるのでw、鉄棒できる人は尊敬です!
・「ローラースケート。光GENJIブームに乗っかりました。かなり上手いです」(男性 出版社 取締役/営業部部長)
光GENJI、懐かしい! 女子はピンクやアイドル団扇にハマったもんです(女子=ピンク好きは光GENJIに関係ないかw)
・「私の子供の頃は、デザイナーでよく言う文系で、絵を書くのが好きというのが、まったく無く。基本的に体を動かすのが好きだったので、サッカーしたり、野球したり外で遊んでました。そして中学・高校・大学と部活をしていたのでデザインとは無縁の生活をしておりました。ですので、今でも絵は超下手ですし想像力も乏しいです。それでもなんとかデザイナーをやっておりますが、もう少し子供の頃にいろいろな体験したり、トラウマ背負ったりしてそれが想像力につながるんだとしみじみ痛感します。
ですので親となった今、子供にはいろいろと体験させてあげたいとおもう今日この頃です。素敵な企画ありがとうございます!」(男性 デザイナー)
この企画主旨を代弁してくださるかのような締めの言葉(嬉泣)。ありがとうございます!
「関節が動くおもちゃでしか遊ばなかった。ミクロマン世代は非常にスポット的なので、知らない人が多い…。その後『関節系』は、ガンダムプラモ、マクロス、ボトムズ、バイファムと続いていく」
という男性 クリエイティブディレクターはさらに、
「プラモデルの正しい作り方を、兄から教わってだいぶ作った。やすりがけ、色作り、色塗り、エアブラシなど非常に勉強になった」
そう。
ガンダムやプラモデルはやっぱり人気!
・「ガンダム大好き。大人になるための大事な要素はすべてガンダムから教わりました(笑)」(男性 出版社 取締役/営業部部長)
・「子供のころ、よくプラモデルつくってましたねーー今でもたまに作ります」(男性 アートディレクター)
さらにこちらも流行りましたね。
・「ミニ四駆が流行ってて自分もいくつか持ってたが、基本的には組み立てるよりも改造に情熱をもやしていて、最終的にはいじりすぎて全部壊した。友人の美しく適度に改造されたアバンテを見て、ほどほどということを知った」(男性 プロデューサー)
“全部壊す”…。武勇伝は昔から?![2]
採る派? それとも飼う派?
・「保育園時は、生き物が好きで、よく近所で虫取りやザリガニ釣りをしてました。バッタを見つけたらすかさず飛びつく少年」(男性 アートディレクター)
・「カブトムシの幼虫や蛇をよく捕りにいった」(男性 クリエイティブディレクター)
・「昆虫採集。⇒近所の森に餌を仕掛けて夜中や早朝カブトムシやクワガタを採りに行った。なぜか、今は大の虫嫌い」(男性 出版社 取締役/営業部部長)
・「カブトムシやおたまじゃくしを育てるのが面白くて、毎年なにかしら小さい生き物を飼っていた」(女性 デザイナー)
子どもにはちょっとヘビーな体験談。
・「やどかり、亀、鈴虫を飼ったことがある。最初は可愛がってたんだけど、ある出来事をきっかけにどれも嫌いになった。やどかりは貝から出ちゃった姿を見たときに、亀はひっくり返ってお腹が見えちゃったときに、鈴虫は共食いしてるのを見ちゃったときに…。共食いといえば、縁日のくじでうずらのヒヨコが当たったときに、籠の中で1匹が他の仲間から食べられてるのを見たのが衝撃だった。以来、大好きだった鶏肉が食べられなくなった」(女性 PR/マーケ担当)
・「猫、犬、こうもり、あらゆる動物を飼うこと。彼らが生き死んでいくことの不可解さは壮絶でした」(男性 出版社 編集)
確かに。生き物を飼うことで『生き死に』を身近に感じるようになるのかもしれません。
・「幼稚園や小学生のときは、友達と○○ごっことかしてた」(女性 デザイナー)
・「小学校の校庭にあったジャングルジムに片手片足でつかまって『ヤッターマン1号、2号参上!』とさけんで遊んだり。高校になってからも、体育でソフトボールをやってるときに仲の良い子と、星飛雄馬と花形満になりきって遊んだり」(女性 PR/マーケ担当)
『ごっこ遊び』って、なりきったりディテールまで真似したりするので、観察力がつくかもしれませんね。
そして『ごっこ』ではなくプロ(?!)だった人も。
・「探偵に憧れる。⇒小学校中学年の頃、TV番組の影響で将来は探偵になりたいと本気で思っていた。ゆえに、人間観察や尾行、車のナンバーを記憶するなど人知れず特訓をしていた。尾行相手は母や姉、学校の先生など。小学校4年生のとき、尾行により担任の自宅アパートを突き止め、友達とふたりで数日張り込みをした。しかしその行動はあっさりとばれ、母は学校から呼び出しをくらった。人生で3本の指に入る、とっても怒られた出来事である」(女性 ディレクター)
・「紙製の着せ替え人形遊び、リカちゃん&ジェニーちゃん人形遊び」(女性 デザイナー)
リカちゃん、ジェニーちゃん、流行りましたね! “リカちゃん電話”を怖がっていたことを思い出しました…。
進路選択&仕事に! でも…
・「人形遊び(リカちゃんではなく、ジェニー)が好きで、よくやっていました。当時出ていた『ジェニーファッションクラブ』というシリーズものの手作り本を見ながら洋服を作ったり、小物を作ったり。好きなことをやりたいという意向で、大学は家政系、最初の就職先はアパレルを選びましたが、それ以上の情熱はなく、仕事は別にしようと思い、簿記の勉強をし、経理の仕事をすることに。それから紆余曲折を経て、今に至ります」(女性 ホールディングカンパニー)
1980年代にはゲームウォッチやファミコンが登場。ハマった人もやっぱり多いようです。
・「テレビゲームが好きだった。。近所の友達の家に遊びに行ったりしたり、もちろん自分の家にもあって一日中やっていたことも。とくにRPGに夢中でした。『ドラクエ』とか『FF』とか」(男性 デザイナー/アートディレクター)
・「ちょうどゲームウォッチに始まって、ファミコンが広まったのが小学生の頃だったので、ゲームを持ち寄って遊んでいた。そのあとにMSXで遊んでいた気も(すぐに飽きた)」(男性 アートディレクター)
・「遊具が好きだった。公園に連れて行かれて新しい遊具があると大興奮してなかなか帰らなかったらしい。あたらしい体験を与えてくれるものは昔から好きだったよう。
テレビゲームも同じ理由でかなりはまってて、夜は早く寝る家だったのでわざわざ朝4時に起きてやっていた」(男性 プロデューサー)
そんな早朝から! 好きなものに対する気合い、すごいですね。
カードゲームなどではこんな遊び方をしていた人も。
・「カードゲーム的なものや、スゴロク的な遊びを自分でルールを考えたり、キャラクターをつくったりして友達と遊ぶのが好きでした」(男性 デザイナー/アートディレクター)
・「パズルを裏返してやるのが好きだった。⇒子供用のパズルをいつも裏返してやってた。大人用のピースが小さいのは、何度か挫折した気がする」(男性 ディレクター)
裏返してとは。なんて器用な。
・「パソコンでDTM的なことをやっていた。⇒中学時代『歌謡曲』っていうバンド譜が載っている雑誌とかを買ってきて、Basicで打ち込みしてた(当時のパソコンは、電源を入れるとDOS的にBasicが立ち上がったのです)。楽譜の読み方はそのとき覚えた。どこで覚えたのか、ちゃんとプログラム部分とデータ部分で分けて作ってた。楽譜のコーダとかの行ったり来たり記号とプログラムの相性が良かったんだろうね。この頃から『作っても直せる』楽しさを知り、創作系(プラモとか)から遠ざかったのかも」(男性 クリエイティブディレクター)
・「NHKの番組で、CGで遺跡が再現されるのを見て『こういうことやりたい!』と思ってた。⇒仕事ではやっていませんが、学校で少しだけ3Dアニメーションを勉強する機会があり、繋がってるなーと思いました」(女性 デザイナー)
20代ともなると、こんな早くからパソコンやネットが当たり前な環境に。
・「父の影響で小学校時代からMacに触れてました。毎年年賀状はMacで作るという生意気っぷり。笑」(女性 デザイナー)
・「パソコンが好きだった。⇒流行もの好きな父親のおかげで、小学校1・2年生の時?にはwindowsが我が家へ。子ども用のお絵描きソフトや、映画の編集ができるクリエイティブ系のソフトが特に好きでよく遊んでいました。中でも新聞の誌面を作れるソフト?(うろおぼえ。あくまでも子ども用です)がすごく好きで、よく作っていたような…
その時の楽しさが、今の『情報を整理して誌面にまとめる』という仕事に繋がっているかもしれません」(女性 プロジェクトマネージャー)
・「中学生のときは、ネット世代なので、MSNメッセンジャーとかMySpaceとかしてた。簡素なホームページを作ったりもしてた」(女性 デザイナー)
・「粘土遊びが好きで、こういう物を作ろう!と思ったら、ひたすら何時間でも出来上がるまでそれに集中してしまう子どもだった。基本的になににおいても一人でじっと自分の世界に没頭しやすい子どもだったので、例えば消しゴムのカスを見てキャラクターを作って、そのあとストーリーを考えてみたりして気付くと2~3時間経っていたり、一人遊びが好きでした・・・(暗)」(プロジェクトマネージャー)
・「読書と妄想。何かしらのキャラになりきって登下校するとか、一人遊び。ねくらでした」(男性 ホールディングカンパニー 執行役員)
二人とも、今のコミュニケーション能力の高さは、いつ・どうやって形成されたんでしょうか…?
・「部屋の模様替えが好きで、しょっちゅう部屋のレイアウトを変えていました」(女性 デザイナー)
・「幼稚園に行く時に何を着ていくかが決められなくて、毎日タンスの前に座り込んで悩んでいた(親が決める服は嫌だったみたい)→仕事とは関係ないですが、今も服は大好きです」(女性 デザイナー)
・「小学生のくせに季節を先取りしたファッション。まだ激暑い9月に、ファッションは季節の先取りが大事、とか言って、長袖を着て学校に通っていた。そして、仲良しの友達にもそうアドバイス(今考えれば、余計なお世話だ…)」(女性 PR/マーケ担当)
彼女は今、パーソナルスタイリストとしても活躍中!
・「ワッペンを集めてて、旅行やイベントに行くたびに買ってキルティングに貼り付けてた」(男性 プロデューサー)
・「そういえば、雑誌の切り抜きをスクラップブックに貼ったりしていました」(女性 ディレクター)
・「解体屋さんで、ラジオとかいろいろ分解して真空管を集めるのが好きだった」(男性 クリエイティブディレクター)
真空管コレクション!! 最初に興味をもったきっかけが気になります!
まだまだあります。好きなモノ、やってたコトあれこれ。
・「歴史。⇒過去が好きだった。レゴで好きだったのは街でも列車でもSFみたいなやつでもなくて、大きな中世の城や、カリビアンな海賊船だった。過去になにがあって今があるのかを知ることが好きで、将来は考古学者や歴史学者になりたいとか思っていた。歴史という概念が人工的であることが分かった今でも、歴史を編む、ということは尊いものだと思っている」(男性 デザイナー)
・「戦国時代好き。親に懇願して有名武将ゆかりの地を旅したり、本を買ってもらった。ゲームでは『信長の野望』に大ハマリ。出張先ではご当地武将のゆかりの地に行けたらラッキーな感じです」(男性 出版社 取締役/営業部部長)
・「語学が好きだった。⇒言語そのものに興味があった。『アメリカ人は犬を見て“dog”って思うのか…』とか、まず『私は○○します!/何を、どんな…』って語順だってことは考える順序がそうなのか…ってことに衝撃を受けた。発想がそもそも違うんだ、言語がちがうと。暗号解読みたいな気持ちで語学を勉強してた。受験に有利とかインターナショナルに活躍する人になりたいとかは、あんまり思ったことないかも…。
高校でフランス語をやってみたら、英語じゃない、肌に合うのはこっちだ!って思って、英語への情熱がさめたことが今となっては残念です」(女性 デザイナー/アートディレクター)
・「アンディー・ウォーホルが好きだったので、シルクスクリーンに興味を持っていた。⇒留学中に隣でやっていた版画のクラスに入れてもらいました」(女性 デザイナー)
・「ピアノを弾くのが好きで、ずっと弾いてた。とくにうまくなりたいというモチベーションは無くて、弾くのが楽しいだけで、結局5歳から18歳の大学入学まで上達スピード遅いまま継続」(男性 プロデューサー)
・「鉄オタ。⇒ジャンルとしては『撮り鉄』『乗り鉄』です。昔は表立って言えないジャンルでしたが、今はオープンな世の中になって嬉しい。この下積みのお陰で出張時にいろんな鉄道と巡り会えるのが嬉しい。特に水戸岡鋭治さんのデザインされた鉄道(ほぼJR九州)が大好きです」(男性 出版社 取締役/営業部部長)
・「小学校1~3年の山形に住んでた頃は特に、学校帰りの道草が楽しかった。⇒学校(本業)よりもそれ以外のところが楽しい」(女性 PR/マーケ担当)
そして今回のアンケート回答では少なかったテレビ派を発見。
・「小さなころからテレビばっかり見ていたけど、それは今でも変わらず。今でも自分の話の元ネタはいつもテレビです」(女性 ディレクター)
全く違うモノゴトなのだけど、面白さや気になっていたポイントが共通しているケースが多数みられました。
◎“組み合わせ”を考えるのが好き
・「2歳から短大の最初ぐらいまでエレクトーンを習っていた⇒一定の粒度を持ったものをある視点で組み合わせることや、それによって新しいものを作り出すことが楽しかった⇒マルチタスクなところが面白かった(全身を使った演奏で1人で何役分もこなせる)⇒一方では、グループ演奏で分担して1つの曲を演奏するのも楽しかった。
※エレクトーン以降は、バーテンダーのバイトをやったりしていたんだけど、カクテルなんかはまさに、組み合わせのパターンでいくつもの文脈を作ったり、あるいは、同じ材料でも量の違いで文脈にあわせて全く異なるものを作ることができるみたいなところ、さらにお客さんの表情とか気分にあわせて、どんなことを感じてもらいたいかとか、一緒に来ている人とどんなコミュニケーションが生まれたら面白そうかなどを企むことで、処方するカクテルを変えるというようなところに面白みを感じていた。
もっというと、IA的に言うとこの、ファセット分類的なところが超面白かった」(女性 PR/マーケ担当)
・「ミニ四駆が好きだった。当時流行っていたこともあって。近所の友達もみんなやってました。タイヤとかベアリングとかシャーシとかモーターとか。いろんなパーツを自由に組み合わせて、見た目のかっこ良さや早さを競うのがとてもエキサイティングで夢中になった」(男性 デザイナー/アートディレクター)
・「ぬりえ(特に、頭部&上半身&下半身で切り込みを入れて、全身の組み合わせを変えられるやつ)」(女性 デザイナー)
・「模型をつくるのが好きだった。バイクのプラモとか。マッチ棒やクッキーでミニチュアハウスをつくったりとか。パーツ単体じゃ意味をなさないかたちなのに、組み合わせることでバイクや家とかっていう、意味を成すものになるのが面白い」(女性 PR/マーケ担当)
・「パズルやレゴが好きだった。レゴはかなり大きくなるまでやり続けた。理想の家や間取りを考えるのが好きで、毎回家と住人を設定し、お話を作っていた。組み合わせを考えるのが楽しいし、何度でもバラせて一からやり直せるのも性に合っていた。作ったものを置いておくということにはあまり興味がなかった」(女性 デザイナー)
・「ミサンガ編み達人だった。⇒思い出しました。高校の頃帰国の子たちに教わってハマり、20数本糸を使って途中で分かれたり交差したりするようなすごいのまで作ってた…。色の組み合わせを考えるのが大好きだったし、糸のテンション次第で表情が変わる…とかけっこう細かいところもこだわっていた」(女性 デザイナー/アートディレクター)
◎“関連に気づく”のが楽しい
・「授業とか教科書で、今まで知らなかったことを教わったり、全然べつべつに習ったことがある日関連がある!って知ったりすることがただただ楽しかったし、何かできるようになると『まだまだ手におえないこと』『知らないこと』ばかり増えていく…って思っていた。今も考え方はあんまりかわらない気がする」(女性 デザイナー/アートディレクター)
・「小さい頃から、絵本、マンガ、小説問わずに『本』を読むのが好きでした。物語の中で引用されているものに気づくと、『これ知っている!』とわくわくした。(小さい頃は、そこまではっきりと意識はしていなかったと思いますが。)例えば、『ドラえもん 宇宙小戦争』に出てくる、ジョージ・オーウェルの『1984』へのオマージュなど。引用元やモチーフになっているものを追いかけて(掘っていって)、好きなものが増えていくのも楽しかったです。
読んだものや見たものをもとに空想したりすることも好きだったので、『企画する』『編集する』みたいなことに、うっすらと繋がっているのかもしれません」(男性 プロジェクトマネージャー)
“視点を行き来するのが楽しい”という人も。
・「いろんなコトが好き。⇒本、雑誌、ラジオ、映画…。いろんなコトが好きです。ある視点にとどまるよりも、あちら側とこちら側、いろんな視点を行ききして考えることが楽しいようです。ゼネラリストとして、いろんなコンテンツの在り方を探る仕事を楽しめるのは、こういうところがあるからかも」(男性 デザイナー)
◎“情報を整理し直す”ことに熱心
・「ノートまとめが好きだった。⇒『きれいにノートにまとめる』という作業が好きでした(ノート自体も物としてすごく好きでした)。授業の内容をより分かりやすくまとめ直したり、テスト対策用に赤シートで要点が消えるように編集し直したり、好きな事柄をまとめたり…。
情報をより見やすく・読みやすく整理するのが好き、というのは今も昔も同じようです。
※小学生の頃は『珍しい名字』が好きで、ネットで調べては専用のノートにまとめていた記憶が……
※子ども、ではないですが大学受験の頃は世界史のノート編集に変な情熱を燃やしていました」(女性 プロジェクトマネージャー)
・「お菓子レシピノートをつくってた。『キューピー3分クッキング』を観ながらメモをとってさらに清書するとか。色鉛筆を使ってイラストを付けて、ぱっと見て『楽しそう』とか『作りたい』とか思えるように書くことに力を入れていた。⇒わかりやすく情報を整理し直すことが好きだった、ということは今の仕事につながっているかも」(女性 PR/マーケ担当)
・「授業のノートをいかにきれいにみやすくとるかに燃えていました。先生の板書をそのまま書くことはせず、情報を整理しなおしてまとめるのが楽しかったです。今思うと、今仕事でやっていることと繋がっていたのかも…」(女性 デザイナー)
◎“イメージ”が浮かぶ
・「妄想。⇒小学校の国語の教科書は、その内容が全て映像として自分の頭の中に映っていて、そこに自分が入って一緒に遊んだり、考えたり、泣いたりしていた。それがとても楽しかった。
これ、非常に今の仕事に影響していると思う」(男性 取締役/プロジェクトマネージャー/認定人間中心設計専門家)
・「音読が得意だった。⇒小学校1年のときからなぜか音読が得意で、つっかえたことがあんまりない。文章が瞬時に音節/文節のかたまりで目に飛び込むので、他の人がなんでつっかえるのか逆に理解できなかったし今もわからない。
小学校上がるまでひらがなの読み書きちゃんとはできなかったのに、不思議」(女性 デザイナー/アートディレクター)
・「『むしばがすっぽん』という話。⇒幼稚園のころ、聞かされた『むしばがすっぽん』という朗読テープの記憶が鮮烈だった。聞いていることばから、ぱーっとはっきりとしたイメージが見える感じ。目の前のものものはもう見てなくて、イメージを見た経験。あまりにもはっきりと見えたので、絵に残そうとして画力が追いつかず挫折。
今、手を動かす前にイメージがぱーっと広がることがあって(おでこのあたりに絵が広がる感じ)それがあるといいものができるしわくわくするんですがあの体験とちょっとだけ似てるなと思います」(女性 アートディレクター)
・「国語の時間に、朗読をするのが好きだった。文章を読むと目の前に情景が浮かんでくるので、登場人物になりきって読んじゃう。それがよかったみたいで先生から褒められてますます好きになっていった。⇒言葉に携わることや、伝え方を考えるという意味で、今の仕事につながっているなと思う」(女性 PR/マーケ担当)
◎“違う世界”に興味?1
・「男の子の遊びに興味があった。⇒二人姉妹なのだけれど、男の子の遊びに興味があった。少年マンガよんだり、ミニ四駆とかラジコンとか。ファミコンとか。とはいえあきっぽいので数回やったら満足するんですが。わたしもそっちの世界をのぞいてみたい、という気持ちだったのかもしれない。(今の自分のスタンスとしても、やったことないことは一回やってみてから考える、ということにしています)」(女性 アートディレクター)
・「犬に追いかけられて泣いたのと同じ時期に、野良犬を飼い馴らしていたという支離滅裂な経験がある。給食のパンを残して与えたり。恐いものみたさというか好奇心に勝てなかったんだと思う。ちなみに名前はジミー」(女性 PR/マーケ担当)
◎“五感”で楽しむ
・「本を読んだり、空想のお話や絵を書いたり、好きでしたね。本の独特の香りも好きでよく嗅いでました」(女性 アートディレクター)
・「雪。⇒実家は東北の田舎で、冬訪れるのは氷点下と雪の日々だった。雪遊びなんてそのうち飽きてしまったけれど、雪の降る日暮れに、ぎしぎしと雪を鳴らして足跡のない道を行くのは、年を重ねても飽きずにいられた。冬になる度、あの道を歩きに帰っている」(男性 デザイナー)
・「ニワトリをだっこするのが好きだった。⇒近所の動物園に行ってニワトリを捕まえてだっこして、とさか(下の方のやつ)を触るのが好きだった。柔らかくてすごく暖かくて気持ちよかった記憶。
用務員室にいくのが好きだった。⇒小学生のとき、用務員のおじさんが親の知り合いだったこともありよく訪ねにいっていた(唯一名前あだ名で呼ばれてた気がする)。用務員室はガサッとした感じがするけど落ち着く、小学生にとって異質な空間だったと思う。金魚のエサやりとかいろいろやらせてもらったなぁ」(女性 ディレクター)
●[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
他のカテゴリーを読む
⇒[デザイナーの素]1. どんな環境で育った?
⇒[デザイナーの素]2. 好きだった/やってた[よむ・かく・つくる]
⇒[デザイナーの素]3. 好きだった/やってた[コト・モノ]
⇒[デザイナーの素]4. 習い事&部活、学校での成績、将来を目指すきっかけ
[Special Contents デザイナーの素]ってどんな企画?
子どもの頃、みなさんはどんな体験をしましたか?
この Special Contents「デザイナーの素〜今の私を構成する体験〜」は、コンセントと、所属するAZグループ各社のメンバーが、子どもの頃によくやっていたこと、好きだったこと、今の仕事に影響する過去の体験を紹介する企画です。
企画の詳細はこちらの記事を。
⇒[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
それら体験エピソードを勝手に(伝わるしくみじゃないけどw)4つに分類。
この記事では、習い事や部活、成績や将来を目指すきっかけとなったできごとに関する体験談を紹介します。
発見したこと
・自発的に始めたことでなくても、それをきっかけに好きになることがある
・部活から得た教訓を人生の基本にしていることが多い
・成績が良かった人の中には、テストや評価の本質を分析している人がいる
・「幼稚園で絵画教室に通っていた。動物園や植物園へスケッチに行くのが好きだった。動物園は週1で通っていた時期がある。観察が好き」
という女性デザイナー。彼女は書道も習っていたそうで、
・「文字の形をなぞるのが好きだった。だんだん活字を真似するようになり、友達に『映画とかのタイトルの字作る人になりなよ』と言われてそういう仕事があることを初めて意識する」(女性 デザイナー)
そういう職業を知っている子がお友達だったっていうのも大きそう。
・「幼稚園のころ、近所にあったお絵かき教室に遊びに行っていました。とてもアットホームで子だくさんのおうちでした」(女性 デザイナー)
習っていたわけじゃないかもですが、いろんなことに触れる機会を子どもに与えるのって大切ですね。
・「小学校時代、絵は普通に習っていました。マンガを読むのも描くのも(といっても「かわいい女の子」レベルでしたが)大好きでした。美術はかなり成績が良かったです。夏休みの研究なんか読み物っぽくこだわって作っていた記憶があります」(女性 アートディレクター)
絵を習っていた人、多いようですね。デザイン会社ならではなんだろうか…。
男性がやっていた部活は、やっぱりサッカーが人気!
・「サッカーは小学3年から大学までずっとやってました。今の私は、かなりの割合でサッカー(部活)で構成されました(学びました)」(男性 取締役)
・「中学生のときにサッカーをやり始めた。小学校からやりたかったけどサッカー部がなかったので。たぶん7歳で1970年のワールドカップ見てからだ。ブラジル優勝してペレとかゲルトミュラーとかベッケンバウアーとかの活躍を見て影響を受けたのだと思う。野球なんか、アメリカなんか小さい、世界はサッカーだ!パワーじゃない、頭脳だ!とたぶん考えていた。
3年のとき、真夏のサッカー県大会で決勝進出。準決勝で延長戦1ゴール1アシスト決めたけど全身がつってた。決勝はボロ負け。最後は体力だなと悟った」(男性 クリエイティブディレクター)
・「子どもの頃はとりあえずスポーツ漬けだった気がします。
まず、気がついたらスイミングスクールに通っていて、小学校中学年くらいから選手コースになりました。火曜日から金曜日までは夜19~21時、土曜日は夕方、日曜日は朝7~9時で、休みは月曜日だけ。
さらに、サッカーが好きで小学校から地元のクラブに入りました。小学校のときはサッカーが週末だけだったのでよかったのですが、中学で部活になると両立が辛くなったり、サッカーのほうが好きだったりで中2で水泳はやめました。一応県大会には出ました」(男性 ディレクター)
激ハード!!
今、練習がかなり盛り上がっているコンセントの「サッカーとかフットサル」グループにも、みんなやっぱり所属しているのかな? 大人になってからも継続して楽しめるっていいですね。
芸術系な人を発見。
・「田舎の男子たち的に最もあり得ない『演劇』を高校でならやっても大丈夫なのかもと思って演劇部に入った。でもやっぱり10年ぶりかなんかの男子部員だったらしく、なんだやっぱりかわらんのかと思った。当時私の地方では大げさな演技が支流で、なんだかおかしいなと思って、自然な演技を心がけた。演技の方は『普通に自然にやればいいじゃん』っていう思いの使命感からやっていて、どちらかというと、照明や音声の方がおもしろかったのかもなあ」(男性 クリエイティブディレクター)
ああ! よく通る声なのは演劇部の成果なんですね!
・「小学校時代のクラブは図書クラブ、美術クラブ、家庭科クラブ、中学校は手芸料理部、高校は料理研究部で6年生・中3・高3で部長でした。お菓子作りには自信がありました。
小中高とおして成績がよかったのは、家庭科と美術」(女性 デザイナー)
お嫁さんにしたい。
部活といえば、授業とは違った学びもあります。
前出の、“サッカーで構成されている”男性 取締役は、今の仕事に影響した過去の体験として、
・「規律や上下関係を重んじること/組織プレー/リーダーシップ/努力(練習)は報われること[高校=県大会準優勝/大学=サークル全国大会準優勝]」
を挙げています。
また、女性 プロジェクトマネージャーは、
・「やはりスポーツ(陸上)です。ある程度の結果を残せたので、頑張れば報われる、というのが仕事のモチベーションになってたりもします。反面、頑張るは万能ではない、ということもありますけれど」
と回答。
でも、強制的に入れられちゃうとこんなことになってしまう場合も…。
・「小学時代、まったく運動できない私を親が心配して野球部に入れた。あまりに嫌いで毎日泣いて帰った。車に酔うので、遠征も大嫌いでよく泣いてた。部員や監督、コーチたちのデリカシーのない頭の悪さに辟易して泣いてた」(男性 クリエイティブディレクター)
切ない、ですね。。。
“成績が良かった”と回答していた人の中には、“テスト”や“評価”に対して独自の見解をもっている人がいることを発見。
・「(頭はよくないけど)成績が良かった。⇒海外の教育は暗記があまりいらないので、暗記が不得意で、知識もまるでない私でも点が取れた。というわけで、高校を学校トップの成績(海外だと高校最後に総合テストがある)で卒業したりしました。私と同じ点数だった男の子は、ケンブリッジに行きました(自慢)。大学も、一番上の学位で卒業しました。
学校のテストや課題って結局、『頭が良い悪い』というよりも、『質問相手が求めていることを的確に判断し、明確に提示できるかどうか』なので、デザインに近い行為だと思います。アーティストや研究者気質じゃないですね、私は」(女性 デザイナー)
「勉強がすごいできた。⇒中学校ぐらいまでものすごい勉強ができた(高校は、まぁみんな似たようなもんなので、ふつうでしたが)。
学習塾や予備校はぜんぜん行ったことがないし、授業だけ。英才教育的な要素もまったくない家庭。
でも成績や順位がいいことと「優れてる人」ってことはまったく別物だって小さい頃から思っていて、成績がよいのは『悪いよりはいいほうがいい』くらいにしか思っていなかったし、まわりに点数とか順位をどうこういわれるのがうっとうしかった。『この学校で一位だったとしても何の自慢にもならないでしょう、たかがテストで。だいたい教科書の範囲内、授業でやったことしか出ないし。ひとを判断するのはそんな小さいことじゃないでしょう』って思っていた」(女性 デザイナー/アートディレクター)
将来なりたいものを決めた時期もきっかけも人それぞれ。
・「奈良美智さん+graf の方々のお手伝いをした。何年か連続して、展示のお手伝いができる機会があり。10代のわたしには、クリエイティブ業界でばりばり働いている人たちと身近で関われたのは、かなり衝撃的&印象的な出来事でした。『チームワークの楽しさ』や『クリエイティブ業界の人のおもしろさ』に気づき、将来自分はこういう場に身を置くと決めました」(女性 デザイナー)
クリエイティブな環境に自ら切り拓いていくって尊敬しますね。
得意だったことからデザインの仕事に繋がっていった人たちも。
・「レタリングが好きだった。袋文字描くのがすごい得意だった。⇒字のかたちを思いうかべると、すいすい輪郭が描けて、大きさの配分も上手だった。(余談ですが息子〈小3〉もすいすい袋文字描いてるのに気づいてびっくり。誰も教えてないのに)あと中学の美術の授業でレタリングをやったとき、あんまりにも面白くて衝撃! ずっとこれだけやってたいって思ってた。
…そしたらデザイナーになったよ!」(女性 デザイナー/アートディレクター)
・「幼いころはミニカーやラジコンなどのおもちゃが大好きで、走っている車の名前も細かく覚えていたらしい。そういえば、デザイン学科に行こうと思ったのも車などのプロダクトデザインを勉強しようと思ったのがきっかけだった」(男性 アートディレクター)
そして、エディトリアルデザイナーの場合、好きなこときっかけに“雑誌”を手にしても、見ていたところが違うみたいです。
・「中学生くらいから雑誌がすきで『オリーブ』や『mcシスター』など読んでいました。最初はCMを作りたいと美大進学を決めていたのですが、多摩美に入って3年次にエディトリアルデザインの授業を受け『これがやりたかったんだわー』と目覚めた感じです。。。」(女性 デザイナー)
・「高校生のときはサッカー中心生活。田舎なので車とかバイクに興味が移る。エンジニアになるかデザイン系にいくか迷う。当時、ポパイとかパルコ出版の『ビックリハウス』『SUPERART』という雑誌が面白くて、こういう雑誌を作ってみたいと思ってた」(男性 クリエイティブディレクター)
・「『今の仕事に影響した過去の体験』、多分ですが高校生か浪人生くらいにマガハの『Relax』を読んだことです。こんな、おもしろいこと、かっこいいこと、仕事にしたら幸せだろうなーと。ちなみに就活時の第1志望もマガハでした」(男性 ディレクター)
・「中学時代:なんとなく普通高校に進学するのがいやで英語に力を入れている学校へ進路を決めました。多分その頃から『普通のOL』になる事に対して充実した人生を見い出せなかったのだと思います。
高校時代:バンドブームにがっつりハマり、特定のバンドのCDを買い集めるようになります。その頃『パチバチ』という音楽雑誌をよく買っていたのですが、かなり斬新なデザインでした。文章もライターの好き勝手に書いてる印象があり、『雑誌を作るって面白そう!』と思い始めました。その頃母親が通っている趣味の絵画教室の先生が武蔵野美術大学出身で、なんとなくそこでデッサンを学ぶようになります。その流れで美大を目指したのか、そこで受験のデッサンを学んでいたのかは忘れましたが、美大受験を高2の頃から目指していたのは確かです。『美大でもアブラや日本画は仕事にならないから嫌だな。食って行くにはデザイン科だな』と強く思っていたことは確かです」(女性 アートディレクター)
・「ぱっと思いつかないのですが、強いてあげるならマンガでしょうか。『ジャンプ』隆盛の時代に幼少期を過ごし、あらためて考えれば初めて購読した『雑誌』でもあるし、鳥山先生の絵を模写したりもしていたし、少なからず影響を受けていると思います」(男性 デザイナー)
“人を楽しませたい、役に立ちたい”と思ってデザインの道を選ぶ。自己表現ではなく、人のため・問題解決のためのデザインに興味が向くのですね。
・「中学時代は某バンドに熱狂。音楽は勿論、彼らのCDジャケットや掲載誌のデザイン、写真の善し悪しにも凄く着目しており、(幼稚園や小学校のときに好きだった)『絵画』でも『漫画』でもない美術系の方向をぼんやり考え出した。
高校時代は美術部で「イラストがうまい子」のポジション。無印のA4ノートの表紙に漫画を描いてあげては喜ばれていて、私自身も嬉しかった。これが『デザインでひとを楽しませることの喜び』の原体験の1つ。この時、友達も私も本当に嬉しかったという気持ちを絶対忘れちゃだめだと、今でも折りに触れて思う」(女性 デザイナー)
・「小学校に通いだしてから、母の勧めで、絵の教室に毎週通うことになって、初めて『絵』を意識的に描き始めました。毎回、テーマを先生が出して、それに沿って自由に描くもので、テクニックなどはあまり習わず、創造性を重視した教室だったように思います。それもあってか、学校で(中学・高校も)図工の成績はいつも良かったです。コンクールとかでも何かの賞を貰った気がします。こいういう成功体験が、自信に繋がって、なんとなく自分は絵がうまいんだという自意識が生まれていました。
そんな状態で、高校生、部活しかしていなかった自分が、ふと大学の行き先を考えたときに、美大に進むかと。その後自分より100倍うまい人たちを目の当たりにして心くじけながらも、なんとか美大に進み、写真や映像やウェブや、いろんなものに浮気しながら、タイポグラフィに興味を持って、エディトリアルデザイナーとして就職しました。昔から、何かを『頼まれやすい』性格だったのと、自己表現より、人の役に立つほうが好きな性格でした。生徒会長や部活の部長なども、人に自分で立ち上がるというより、人に頼まれる。そんな感じです。それが結果的に、美大に進んでから、アーティストではなくデザイナーを選ばせた理由かもしれません」(男性 アートディレクター)
●[Special Contents] デザイナーの素 〜今の私を構成する体験〜
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Vol. 012|ロングインタビュー 人間の中にある「編集デザイン」
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勝手に013 | 物事ばっさり4つに分けるマトリクスに楯突く